見出し画像

「鬼滅の刃」で学ぶ「教会組織の違い」

■はじめに

こんばんは。今クールのアニメが豊作すぎてテンション上がりまくってるリベラです。

今期の本命は何といっても「ゆるキャン△」2期ですね。以前記事にしましたが、もう生きがいといってもいいレベルです。第1話なんてもう泣きそうになるくらい感動しました。それ以外にも五等分の花嫁2期、のんのんびより3期、ウマ娘2期、進撃の巨人・・・と、注目作が相次いでいて、これでまた、3か月(1クール)はなんとか頑張れそうな気がします(笑)

■「鬼滅の刃」とは

さて、今回は今空前の大ヒットとなった「鬼滅の刃」です。もう、連日のようにメディアで取り上げられていて、正直飽きている方も多いのではないでしょうか?「今更かよ」と思いますよね。それ、普通の感覚です(笑)

僕は鬼滅の刃に関しては、リアルタイムでTVシリーズを視聴しておらず、昨年の春先くらいに動画配信サービスで一気に観ました。TVシリーズはまだ原作の序盤の段階で、続きが気になり、原作の続きを全部読み、映画も観に行きました。まあ、その程度なんで大したファンじゃないです(おい)

個人的な感想としては、とにかくスピーディで、話の展開が早く、サクサク進んでいくこと、話の内容が単純明快でわかりやすいことが良いな、と思いました。複雑な設定や難しい伏線、ストーリー展開が無く、一本筋が通っていて、引き延ばしもなくきれいに完結したことが素晴らしいと思いました。

鬼滅の刃に関する色々な記事、感想、たくさん読みました。キリスト教関係者による「キリスト教的な解釈・考察」的なものも、数えきれないほど読みました。僕にそんな記事を書く能力はないので、いつも通り、鬼滅の刃でキリスト教知識を学んでいただければと思います。決して考察などはしません。今回は「教会組織」に焦点を当て、カトリックとプロテスタントでは教会組織がどう違うのか見ていきましょう。

あらすじをざっと。主人公の竈門炭治郎は、家業の炭焼きをしながら、長男として亡き父の代わりに家族を支えていました。ある日、炭を売りに家を空けた翌日、家に帰ると家族は鬼に殺され、唯一生きていた妹の竈門禰豆子は鬼となってしまいました。家族の敵討ち、そして禰豆子を人間に戻す方法を探すため、鬼殺隊という組織の隊員となり、鬼との戦いに身を投じていく、というもの。もうみんな知ってますよね。

■「鬼殺隊」はカトリック的な組織?

炭治郎は、鬼殺隊に入隊すべく、「育手(鬼殺隊員志願者に剣術などを教える育成担当者)」の鱗滝左近次のもとで修業し、「最終戦別」という試験に合格して、晴れて鬼殺隊の一員となりました。隊員には十段階の階級があり、入隊当初は一番下の「癸(みずのと)」となります。

隊員の中でも特に能力が優れている者は、幹部に当たる「柱」となります。そして、柱を含む全隊員を統括するのが、当主、通称「お館様」であり、「産屋敷家(うぶやしきけ)」の人間が代々当主を務めています。

これをカトリック教会の組織に当てはめてみると、当主はもちろん、全世界の信者の頂点に立つ最高指導者のローマ教皇でしょう。当主は「お館様」の通称で呼ばれますが、教皇は信者から親しみを込めて「パパ様」と呼ばれています。教皇は「教父」ともいわれ、信者にとっての父親的な存在であることからそう呼ばれています。

ちなみに連載当初の当主は「産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)」であり、第97代目の当主です。現教皇・フランシスコは第266代。とてつもなく長い歴史があります。ただし産屋敷家の当主は世襲制で、代々長男が継ぐことになっているのに対し、教皇は世襲ではなく、「コンクラーヴェ」という選挙によって選出されます。というか、カトリックの聖職者は独身なので、子供に後を継がせるという手段がそもそも存在しません。

教皇には「枢機卿」という補佐役がいます。現在は日本人の枢機卿(前田万葉枢機卿)もいます。鬼殺隊の当主の補佐は、産屋敷家の人間(長男以外)が務めているので、彼らが枢機卿に当たります。

では、「柱」はどうでしょう。一般隊員を司祭と考えるなら、彼らを先導し、指導する役割たる柱は「司教」でしょう。カトリック教会は「教区」というエリア分けがされており、日本国内には16の教区があります。つまり日本には16人の司教がいることになります。僕は「さいたま教区」に属しているのですが、さいたま教区は埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県の4県が該当します。この4県のリーダーが「司教」。司教は教区内の各教会や、司祭を指導、先導する立場で、教皇により任命されます。教会法においては、

①堅固な信仰、品行、信心、司牧に対する熱意、英知、賢明及び人間的道徳に優れ、かつ当該職務上適当な才能を有する者②世評の高い者③35歳以上の者④司祭叙階後、少なくとも5年を経過している者⑤使徒座(教皇のこと)認可の高等教育機関において聖書学、神学若しくは教会法の博士号又は少なくとも教授資格を授与されている者、またはそれらに精通している者

これらの条件を満たしていることが必要です。鬼殺隊の柱についても、①十二鬼月(鬼の上位12体)を倒した者②鬼を50体倒した者といういずれかの条件を満たしている必要があります。そのうえで、当主から任命されて柱となるのです。

そして一般隊員は「司祭」に当たるでしょう。司祭は各教区の司教の監督のもとで職務にあたります。司祭になるには神学校での勉強を経て司教から任命されなければなりません。神学校の先生がいわば「育手」なわけです。司祭を目指す人にとっての「最終戦別」と言えるでしょう。

以上のことから、鬼殺隊は、トップダウン的な組織であるカトリック教会に非常によく似た組織と言えるのです。

■もしも鬼殺隊がプロテスタント的な組織だったら

では、プロテスタント教会の組織はどうなっているのでしょうか?以前どこかの記事で書いたと思うのですが、プロテスタントは一つの組織の名前ではありません。あくまでカトリック教会から無数に分裂していった諸教派の「総称」に過ぎません。同じ教派であっても、教団を形成しているところもあれば、どの教団にも属さない「単立教会」もあります。

そもそも宗教改革は、カトリック教会の組織、階級制度を批判するものであったため、プロテスタント教会には教皇のような「全世界を統括するトップ」が存在しないのです。各教団には一応トップ的な人がいますが(日本最大のプロテスタント教団である日本基督教団でいえば教団総会議長)、カトリックの教皇や司教に比べるとその影響力は大きくありません。早い話が、運営や教会の方針は各教会の牧師に委ねられているのです。そのため、教会のやり方は各々の牧師の影響力が非常に強いのです。自由度が高く、信仰の多様性を尊重しているのが良い点である一方、教皇や司教のような監視役が存在しないため、教会がカルト化するリスクが高いともいえるのです。また、プロテスタント教会の牧師の特徴は任期が長いというのも特徴で、カトリック教会の司祭が数年に一度、教区内の別の教会に異動するのに対して、プロテスタント教会の場合は、同じ牧師が10年、20年ずっと同じ教会にいることは珍しくありません。実は僕の兄は牧師なのですが、牧師になってから最初に赴任した教会には10年以上勤めていました。

もし鬼殺隊がプロテスタント的な組織だったら?というのを妄想してみました。当主は存在せず、各隊員(牧師)が各々の判断で行動して鬼を倒します。柱のようなカリスマ性を持った隊員(牧師)もいて、尊敬されていますが、あくまで尊敬する有名な人に過ぎず、彼らの指導などは受けずに考え方や能力の近い人達でグループを作って助け合いながら行動します。例えば炭治郎、善逸、伊之助が一つのグループ(教団)となったとしても、それを束ねる存在はなく、あくまで相互援助の関係です。また、誰とも手を組まずに単独行動する隊員もいると思います。「単立教会」と同じです。というか、そもそも鬼殺隊自体が存在せず、鬼を倒したいという意思のある者が、それぞれの自己判断で鬼を倒していくという考え方もできると思います。

■おわりに

今回は鬼滅の刃をかなり無理矢理に教会組織に当てはめてみました。教派によって教会組織は異なり、考え方も異なります。ちなみに聖公会は英国国王がトップでカトリックに近く、正教会は各国の教会組織に任されているという、また違った組織構造になっています。

強調しておきたいのは、カトリック的組織にしても、プロテスタント的な組織にしても、「鬼を倒したい」という目的は変わりません。教派が違っても、キリスト教徒として同じイエス様を信じるという信仰が変わらないように。教会を選ぶ際には、どちらが正しいかではなく、どちらが自分に合っているかという基準を持つことが一番大切だと思います。

それではまた次回。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?