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雑感~教育には2種類ある~

考えはまとまっていないのですが、
思考の片隅に残っている断片を文字にしてみたい。

なにか漠然と気づきがあるのですが、
それがなんなのか。

そういう時は、
思いつくままに文字にする。

私なりの思考の整理法。

ノートに鉛筆で思考をまとめるのもいいのですが、
書いている途中で思考がブレイクしすぎて、
まとまりが見えなくなる。

そういう意味で、
文字の加筆修正、編集、検索が容易なデジタルは有難い。

そして、私の漠然とした気づきは、
賛否あることは十分に認識している。

教育なんですよね。
教育と働き方、生き方。
この三つ巴のバランス。

ここがどうしても気になっている。

私は昭和な男であるがゆえに、
勉強して、
いい学校に入り、
いい会社に入ることが、
幸せになることであり、
それが人生である。

そのような価値観をどこかに持っていた。

一般社会的にいい学校ではなく、
そして、誰もがうらやむような会社で、
仕事をしていなかった私は、
それなりのコンプレックスを抱き、
人生を歩んでいた。
コンプレックスのない人はいなく、
そのコンプレックスを
いかに自分の人生のエネルギーに変えるのか…。
この件については、
また別の機会に。

昭和の価値観のひとつと思われる、
勉強して、
いい学校に入り、
いい会社に入ることが、
幸せになることであり、
それが人生である。

「これは本当なのか?」

誤解を恐れず言うなら、
ブランドの威光があれば、
自分の人生は安泰である。

そのために、
ブランドの威光で、
自分の人生を煌めかせたい。

この思いというか、
信じ込みが行き過ぎると、
替え玉受験や、
金の力を使った裏口入学を招いたのではないか。

この背景にあるもの、
その本質を考えると、
ブランドの威光を身にまとい、
人生、
ここで言う人生とは、
生活のことなんだけど、
生活の安泰ということが、
人生の価値であるという考え。

生活の安泰が人生の価値。
「これは本当なのか?」
無価値であるとは言わない。

生活の安泰は人生において必要な要素のひとつである。
しかし、十分な要素でないと思えてならない。

勉強して、
いい学校に入り、
いい会社に入ることが、
幸せになることであり、
それが人生である。
この考え方と、

「お金は人生にとって大切なものなのに、学校では教えてくれない。」
だから、株や投資を学ぶ。
この考え方は、
違うようで、
本質は同じ。

ここまで書いてきて見えてきたものがある。
それは、
「人生にとって大切なものは、お金ではない。」
お金では買えないものがあり、
それが、
人生を支えていて、
人生を豊かにする。
共同体感覚という言葉に埋め込まれているもの、
それがこれなんだろう。

生活のための教育しか受けていない人が、
生活のための人生しか送れないのは当たり前であり、
老後の貯蓄の為に働き、
今を生きていない。
そういうことがおきる。

生活すなわち、
生存のための人生とは、
動物と変わらないのかもしれない。

人間と動物の違いは知性の所有と聞いたことがある。

知性とは知るために考える、
よりよく生きるためのものである。

だから、
「人生にとって大切なものは、お金ではない。」
お金では買えないものがあり、
それが、人生を支えていて、
人生を豊かにする。

このことを学ぶことが、
人生のための教育。

動物ではない、
知性を所有している人間に必要なこと。
人生のための教育。

生活のための教育は、
最悪、
その後でも十分に間に合う。
いや、後でなくてもいい。
同時にすればいい。







人生で最も大切なこと、それは 笑顔で心穏やかに生きること。これだけで、私たちは、人として価値がある。これだけで、私たちは、まわりの人に貢献でき、まわりの人を幸せにできる。