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共同体感覚について考えてみた

「関わり合い」とは「関係を創る」という行為です。

一方で、「関係を探る」という行為があります。

人と関わるときに、相手の出身地や、会社、趣味、知人など自分との「関係」の糸を探っていくという行為です。

そこには、相手と自分の「関係」は既に存在しており、後はそれを壊さないようにすることしかできない。

2人の関係を発展させるとか、その関係を問い直すことはなく「関係を探る」という立場にいる限り1度決定された関係については、その枠から抜け出すことができなくなります。

そこでは人との関係を、どちらが上か下か、どちらが優れているか劣っているか、損か得かなど、二極化してどちらかの立場に立つことで維持しています。

「関係を探る」という既成の関係の中では、対等に、自由に、話したり質問したりすることはありません。

だからこそ自由な「対話」を通して創られる「関係」には価値があると思います。

「関係」に価値をおいて「関わりあい」を大切にすると、「共同体感覚」が身についてくるように思います。

「共同体感覚」とは、自分の利益のためだけに行動するのではなく、自分の行動がより大きな共同体のためにもなるように行動する感覚です。

「共同体感覚」が身についている人は、人間は社会という網の目の中に組み込まれていることを知っています。

しかし、「関係を探る」という行動をしている人は、「共同体感覚」が身につくことはありません。

なぜなら、「関係を探る」という行動は、自分の行動の影響を考えず、自分の利益しか考えていないからです。

自分の利益になる場合にだけ、他人と協力し、他人を利用しようとするからです。

「共同体感覚」は、人間に生まれつき備わった潜在的なものですが、意識しないと身につけることができない感覚です。

日々の自分の行動の中で、

「この行動は、自分の利益ばかりでなく、相手のためにもなるだろうか?」

「この行動は、自分と相手の利益になるが、もっと大きいな共同体にとってはどうだろうか?」

と、考えながら行動を実践し、積み重ねることで身につける事ができると思うのです。


【補足】
社会という網の目に組み込まれていることを知っている。

アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいません。ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。

だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」なのです。

この視点で、世界の紛争を考えるとなんと愚かなことをしているのだろうと、思うのです。歴史は繰り返すのか。

私たちはなぜ、歴史から学べないのか?

なぜなら、「関係を探る」という行動は、自分の行動の影響を考えず、自分の利益しか考えていないからです。

自分の利益になる場合にだけ、他人と協力し、他人を利用しようとするからです。

「共同体感覚」は、人間に生まれつき備わった潜在的なものですが、意識しないと身につけることができない感覚です。

どうもここに、歴史から学べないという答えがあるよに思うのです。

「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられない。私たち全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのが人間の生存戦略だということです。

数万年前、地球の温度が急激に下がって、人類が滅亡しそうになったとき、一番最後に生き残った種族は、どんな種族だったか?
それは、「他の人たちを助けた人たち」だった。

いろんな意味で、今の時代、不安定で、転換、変換の時期にさしかかっています。

誰よりも、人を助けた人が、成功する時代。
そして、「自分」という感覚から、
「私たち」という感覚へ意識が移行している。

今まで、「自分」が、お金持ちになって、いい思いをしたい。
そんな「自分」のためにがんばってきたのに対して、
「私たち」という発想になっている。

今までアイドルは1人だったけど、
今はグループが人気があるのもそういう変化なのか…。

そして、「シェア」することのよさが再注目されたり。
車でも、家でも、「シェア」する。

自分だけのものではなく、まわりの人にも、喜んで使ってもらう。
写真だって、アルバムとして「自分が楽しむため」だけじゃなく、「こんな感動した場面、あなたにもシェアしたい」そんなシェアが増えてきている。

自分の経験は、やがて誰かの希望となるのだ。

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略。

利他の心。

共同体感覚について考えてみた。

人生で最も大切なこと、それは 笑顔で心穏やかに生きること。これだけで、私たちは、人として価値がある。これだけで、私たちは、まわりの人に貢献でき、まわりの人を幸せにできる。