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記憶の底にて溺れる君は

思い出したかの如く、記憶のアヤ取り。

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11.題名の決め方

 殆どの場合、閃いた一節を題名に、或いは文中に使いたいが為だけに物を書いてきた。其の中心。話の筋など有って無いかの軽薄さにて、如何にして小洒落た顔をしたワン・センテンス飾るに相応しい道筋を立て、軈ては終止符へと歩ませてゆくのか。此ればかりは癖付きやもしれない。未だ、帳面に鉛筆で物語を書く真似事をしていた頃。あの一頁目と云う新雪に踏み込む一文を悩む時間は、楽しい物だった。
 現在の僕は、物書き趣味の被り物を脱ぎ、作詞作曲を手遊びの心地で転がしている。此処に漂着せども矢張り、題名から入る場合が大半を占めている。気分から、形から、この後先案じず勢い良く身を投げる作り方が、どの分野でもぴたりと己の精神に嵌るのであろう。

12.物語のテーマについて

 主題、思想、物語を通じて読者へ手渡したい感動や情景、提したい問題。テーマ、と改めて問われれば其の定義にて迷い道に入り込んだ。概ね、先述した辺りの事柄についての回答を示すべき機会なのであろうが、僕が文章を書き散らかしてきて此等を意識した瞬間は、無い。一秒たりとも、だ。
 目的やえがく物、総ては僕一人で完結したとて何の不便もありやしまい。自己陶酔、吐瀉、心的治癒、発散、気分転換、手遊び。此処いらに偶々、付属してきたのが文章と云う形状であっただけのこと。読まれずとも吐く、稚拙や無知を恥じもせず文字を嘔吐し続けてきた。故、僕は散々に汚した画面に並ぶ文章を「ナンセンス・センテンス」と自称していた。

13.いつか書きたいテーマ

 全項目で回答したよう、僕がえがこうと試みてきたテーマなど存在していない。それに今は、物書きごとからは随分な立ち距離を置いている。拠って、『特になし』。

14.筆が進まぬときは

 概ね毎度、筆は進まない。追い込み、追い詰め、刃物を喉首に突き出す心持ちでもって進めなければ、筆が進むなどという機会に恵まれたためしがない。モチベーションとは、自ずから組立て上げるもの。そうして僕は雑巾の泥を絞り出すかの如く、テクストを書き残してきた。此方自身で気力を積まねばならない、と云った場合に於いての返答を用意する必要があるとするならば、音楽を聴くでもなしに只管受動的に聴く(僕は“浴びる”との表現を好んで選ぶ)。インスパイアを得られるともなし、其処から閃きを導くでもなし。頭に浮かんだ熟語を振り出しとし、宛ても狙いも作らず出鱈目に連ねてゆく事を頻発させ、如何にか足を引摺る思いで、或いは何某かに脅されるかの思いで(立つ気配は屹度、己の姿形をしている)、書きごとに誠なる阿呆の仕草で齧り付いていた。

15.推敲で最も注意を向ける点

 木を見て森を見ず。何事に於いても此の性質が僕には何処迄もいつ迄も付いて回る。書きごとも又、例外である筈もなく。物語の整合性や、誤字や脱字、ことばの誤用等には目もくれてやらない。僕が書くものについて、重視しているのは音律、聴覚的情報に転換した際の調子の好さに尽きた。故に、句読点の位置や量であったり、同音異義語の中から一番に触り心地の快さそうである文字数・発音域辺りに着目、然も或る種執着めいて呪いかのよう、其処いらばかりに気を向け、他は手離しきっていた。誰が音読するでもない、けれど頭の中で聴覚的な噛み砕きを経る受け手からは、どうやらそれなりに好評であった。

16.文章を書く上での悩み

 前項目でも明かしたが、自身の“木を見て森を見ず”と云う性質が何処迄も枷に、然し同時にして加速を招くも容易い杖と成る事実が悩みの種。否、引摺り続けた苦は、他に大きな影が在るか。己の性質だか、生来の何ぞだか、長文を書いていると過集中気味に落ちてしまう日は少なく無く。又、僕はきわめて体力不足であり、二時間も過集中状態を続けた翌日には概ね確実として良さそうな率数にて発熱をする。長編小説を綴り続けるには不向きも不向き。であるからして、僕は短文書きの姿へと顔面を変えた。

17.書き始めた切掛

 初めて胸のうちに咲き乱れる物語を文章と云う形式に並べ立て、他者へと其の世界を伝えられるように整えたは、幾つの頃であったか記憶は定かでない。多分に、小学校高学年にあたる年齢であったか、どうだか。当時、僕は現在のような惰性的且つ己の不定形な心理状態を自己誘嘔吐の如き文字吐きとは、モチベーションの方面がまるきり違っていた事は憶えている。自身が抱き締めていた、主観としては非常に美しくも広大な世界の在る場所の絶景、そして其処で生活する者達の面白おかしく生活をするさまを、友人等にあたる周囲の身近な子らへ自慢してみたかった、のだと思う。一度はとあるイラストレーターに憧れて漫画絵の練習に没頭するにあたり、文章と云う形式での伝達を放り出していたが、其方が己にはあまりに不向きであると判断し、絵から離れて再び、少しは慣れていた文章形式で心に在する世界を他者に見せる者へと帰ってきた。

18.読書はするか、またそのジャンルは

 恥ずかしながら僕は小説その他を書いている身で在りながら、気の向く儘に文字を散らかすばかりでまともに読み手としての立場を取るのはごく稀だ。故、不勉強が目立つのだろう。例えば書籍にて、活字の並びを眺めていれば、其等が寄越す情報量に呼吸が詰まって溺れてしまう。幾ら美文であれ、どれほどに興味をそそる粗筋の紹介であれ、読む事には覚悟を要するうえ、殆どが長続きしない。拠って読書は苦手とし、自ずからの選択では行わない。

19.書きごとの使用ツール

 中〜長編を書く時は概ねPC。然し起き上がるにも難しい体調の時はスマートフォンと併用している。詩・掌編・note記事など、あまり長くなく済むケースであればスマートフォンに殆ど決まりだ。因みに、僕はスマートフォンから書くと、フリック入力の際にアウトプット迄にタイムラグが生ずるが為、さなかに頭が少しは回っているのだろう、回りくどく粘性の高い描写を自然に行える。自身のそう云った書き方が割に好きであるので、何れかといえばフリック入力で地道に進めてゆく選択を好んでいる。

20.書きごとの使用アプリ

 PCで長文を書く際にはメモ帳を、スマートフォンから書くときには"iText"というアプリを利用している。唯、吐瀉物めくセンテンスを散らかしておくだけである為、作業環境についてはシンプルでも構いやせず、細かな拘りを一切手の内には存在させていない。現在此の記事を書いているnoteなぞは直接打ち込み進めている。

了。マイ・ペースに体調のよいときを狙って連ねていたので、終わりまで結構な日数を要してしまった。



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