男らしいとか、女らしいとか

『男らしいとか 女らしいとか そんな事どうでもいい 人間らしい君と』

 上記の一文は〝Four seasons/THE YELLOW MONKEY〟の歌詞に含まれるフレーズだ。何故冒頭に飾らせて頂いたのかといえば、以下に記してゆく近頃何度か覚える機会にぶつかった疑問への僕なりの答えと近い言葉だからだ。

 文章作品を発表している人達の中で、年齢や性別は非公開と云う選択が取られるケースはどうやら少なくない。殊に僕がフィールドとしているTwitterでは、何処かしらで公開している人以外は日常生活に密接したツイートから推測する他無いのだが、僕のフォロー先は作品発表を主としているアカウントが殆どであるから、誰が何歳で性別はどの枠なのかが判らない人ばかりだ。僕は〝中の人〟については別段興味を抱いてはおらず、作品を眺められさえすれば、との心持ちだ。

 然し何故だろうか、匿名質問を受け付けているユーザーに届く「肉体性別はどちらですか?」との疑問が側から見ていても多いこと、多いこと。僕も一度だけ同様の匿名質問を受けた経験がある。其の時は男性であると答えはしたし、だからと直接的に気分を害したという事も無い。けれど此方が問いたい、どうして肉体性別に拘るのか。肉体性別、と限定する事でセンシティヴな問題に発展する可能性も存在しているのではなかろうか。書き手が女性だったら、男性だったら、どうだというのか。単なる素朴な疑問なのだろうし、隠し通したい者は何処迄も秘密を貫けばよいだけの話ではあるが。

 僕個人が書き手の年齢・性別に拘った事がなく、また掘り進めてみたいと思った事も無い為、ネット上の知人に過ぎぬ対象の性別に拘る必要が何処にあろうか理解が及ばない。作風が女性的・男性的とされるどちらかに寄っており、普段の発言から推測出来る性別との違いがあったとして、だから何なのだというのだろう。

 其処で冒頭で紹介したフレーズだ。男らしいとか、女らしいとか、そんな事どうでもいい、人間らしい君と。人間的魅力が作品に表れていたら、其れで総て良しとして構わないのではなかろうか。僕は生殖器や躰つき程度しか目立った性差は無さそうだと考える質なので、一層にして性別に関して軽視しがちなのかもしれない。

 性別と云う概念に囚われ過ぎるのを嫌う僕の肉体のかたちは先述した通りだ。あなたが僕を女性なのだろうなと思うのならそう暫定していてくれても構わない。インターネット上の人格である僕が液晶画面を通り抜けて其方へ赴く未来が訪れるでも無い限り、あなたの判断次第で、御自由に。

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