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所詮は元恋人の記憶

憎く、愛しく、大切で、抱きしめた後は矢っ張り憎く。

01.視点の使い分け

 軸となるのは一人称視点。心理描写で畳み掛け、丸め込むには其れが適しているから。独白めいた百四十字程度の文章に於いては絵空事と現実を綯交ぜにし、さも不味かろうと云った調理を施した物であるが故、僕の語彙や台詞回しの酸味と苦味を著しく増加させる調味料の一つとして頼る場合は少なからず。「僕」を多用し、「私」「わたし」を好み、「俺」「オレ」との表記は避けている。然し乍ら、気分屋且つ天邪鬼、序でに根気も無いとメトロノームもうんざりとしそうな三拍子が揃っているので、えがきたい場面に依っては三人称一元視点を選択する。際にて、一人称型の口語を鉤括弧外に置き潤滑油としての役割を任せる事屡々。自身の発想を円滑に言葉へとおろす為の手段でしかなく、読者への配慮辺りの気は微塵も持ち合わせないけれど。

02.句読点の使い方

 僕自身、お喋りをすると機関銃の如くひといきで沢山の語句を発する。大凡此のとき酸素を捕まえる具合と同等ではあるが、時には意図的に句点を大幅に削りに掛かる。例えば、如何して今日と云う日に限っては雨だ頭痛だ報せだ何だと赦し難い程で早朝に雲模様が穏やかで無いと知った刹那より屹度夜には癪な締めであろうと想定した通りに心理の刃を向け合い刺し合いの二十四時間で、嗚呼、アア、いやでしょう、お嫌でしょうと、僕が書く手に黒揚羽が正気を吸いに来たところで、こうして、毎度、毎度にして、ごめんね。ごめんね。ぼくときたら。だなんて涙を浮かすよう、過度な、読点を、撒く。殆ど手癖の域である。

03.記号の使い方

 記号は使わない。三点リーダは好まないし、ダッシュなど以ての外。鉤括弧すら、極力使用しないように努めている。後々、自己陶酔と過去の僕に冷笑を刺す心持ちに顎迄とっぷりと浸り、更には溺れて仕舞いたいが故、態とにして画面の見映えを黒く、黒く。数百字読むにも溜息が必要になる位の。反面、暗色の泥沼に一度足を踏み入れたならば掴んで二度と離すまいとする伸びる手を隠すべく。例えば此処まで目を流した読み手が「そろそろ厭だな」と感じて目を離したとしよう。思惑通りだ。だが、違って一字一句溢すことなく泳いで来られたのだとしたら、好い。存分に、浸っていてくれ。僕が足も付かぬ場で呼吸も儘ならぬ鳥よりも下手な犬かきで溺れているのを、横目に。

04.表記規則に関して

 あれやこれや、間違いだ正解だと界隈間で穏やかとは呼べぬ罵り合いに発展する表記規則ではあるが、僕は大して拘ってみた経験が無い。規則についての論で行われる勝敗が有って無き様な殴り合いに参加する趣味は無く、取り敢えず手にした指南書に記されていた物事(字下げ、三点リーダ、中黒辺りの“ただしい”のだとされている用法など)を鵜呑みに、ただなんとなく気が向いたからと云った理由程度で其れに従ってはいる。然し乍ら矢張り、是非を当ずる論争からは外れていたいが故、他者が守らず自由に書く事については何ら感想を抱きはしない。小説も、詩も、大幅に捉えて仕舞えば「作者による言ったもの勝ちに据わる世界」であるとの意見にややも気を寄せている。拠って、僕の書き物は小説では無いものと言ったもの勝ちを手にしている。

05.平仮名、片仮名、漢字の使い分け

 些かばかり先述したが、僕は一見した際の画面が黒く密度が高い文章を捻くれ天邪鬼ごころから目標としている。其れ故がばかりに、持つ眼に依っては過剰とも感じられども無茶はあるまい、との程度に於いた漢字の変換を好む。だが唯一、“自分自身で読み書きが可能である範囲内に留めておく”との基準は塵屑位の存在感ながら持している。概ね、漢字検定準一級合格が出来るか否かとの位置付けであろう。オノマトペは、平仮名で記す事が必ずと呼んで良い。硝子が弾け割れた際に発生する硬質、且つ高域の擬音のみは片仮名にしているが、殆ど出番は無い。尚、片仮名語に至れども僕は漢字表記・日本語、熟語訳に拘りたがる。総ては、不親切な文体を拵えたいが為だけに。

06.頻用する辞書や参考文献

 無し。何もかもが小綺麗に己の中に在している物を取り上げている。無学故、難語や複雑な場面設定は選ばない。選べない、と表す方が適しているか

07.アイディアの湧き方

 かなりの頻度で「アイディアが降ってくる」という表現を目にするのだが、僕にはそう云った経験が無い。「閃き」と類義語であると仮定したとて、矢張り得たためしがない。つまる処、差し出されている問いでは「捻り出す」側に属する事になる。僕の書き物は、筋書きや台詞・表現等をありったけ記しては紙上へ派手に散らかし、其処から得る物を摘み上げる、との手法か、若しくは筆がセミ・オートに程近い感覚で迂闊な滑り方をしてゆくが儘に任せている、と云う書き様か、何れかの段階を経ている。言わずもがなに前者は殆ど「捻り出し」の仲間として遜色なかろう。だが、後者は如何であろうか。閃きの連続、との感覚は己の中には在していないので、此もまた同種であり、然し少し離れた場に位置するもの、としておこう。

08.アイディア→物語への組立て方

 初めから大半が組立てられてある案の塊がそこいら中に転がり散らかっている頭の中身の整理整頓や屑籠行きの分別を行うべく、筋書き紙に一旦拾わせてきた事は珍しくない。拠って、案を物語として組立てている実感は其の時の僕は抱えていない。一切に、だ。強いて挙げるならば矛盾無きよう、自然に空気が流れているかのよう、見せ掛け倒しが適当に叶う迄の順入換え作業が“物語への組立て方”という質問にやや近い返答に成り得よう。先述の“筆が滑りゆくに任せきる”の側であれば、書き進めつつ終いを締める数行を考え(捻り出し)、息を切らしての思いを抱え乍ら目的地へ漕ぎ着けさせている。掌編小説の分量でもないならば、この手段はたいへんに困難を窮めるけれど。

09.書き始めに選ぶところは

頭の中を整頓する為の備忘書きを下準備作業として敷く事が必ずと呼んでよい頻度で在る段階であるから、若しくは書き乍ら薄らぼんやりと先々を考えるものだから、始点は例外なく一行目、起承転結の起にあたる所。大抵、進めている内に次第とエンジンが掛かってくる様子で、半数位迄書いて漸く「これぞ、僕の文章だ」と認められる出来映えに整ってくる。魅せる為でも見せる為でもなく書きごとを行うが故、よく目にする「一行目で読者を惹きつけましょう」だなんて文句は知ったことではない。興味が有れば読み、無ければ途中脱落や素通りをして頂いたっておおいに結構。

10.自作文章の好きな所・嫌いな所

 好きな所。それはもう、当然の理として、総てにあたる。仔細且つ生臭い心理描写、ありと凡ゆる視点から選択した比喩表現、理想的な漢字比率・黒黒と密度の高い画面、突飛な例を恐る事なく使用する点、オノマトペに頼らぬ表現。挙げれば挙げる程に、好みの中央を射抜く点ばかりだ。己の為だけに己の理想とする文体を書き連ねてきたものしか存在させていないのだから、嫌いな所などあろう筈もない。唯、自身で嫌ってこそいないながら、短所を挙げるならば、様変わりしない場面設定、僕の偏食的な嗜好を含む話ばかりであること、狭い世界から出ない物語ばかりになっている点だろうか。自身の為だけに書くものであるから、代わり映えせずとも僕は腹一杯に満足が出来る。


残り、10問。体調がよいとき、気が向いたら続きを書こう。

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