見出し画像

ケース1998①

 どこから聞いてきたのか。Tさんが訪ねてきた。私がまだ独身で、実家暮らしだった頃の話である。一応、日本◯◯心理学会から、心理士のライセンスをもらっていた。

 あの家の学校の先生やってるのが、悩みを何とかしてくれるという根も葉もない噂が狭い街を駆け巡ったそうである。しかし、認定証なる紙切れ一枚しか持っておらず、臨床経験は、演習等で学んだだけであった。

 母の安請け合いを反故にできず、渋々相談するに至った。子どもが登校拒否になったとのこと。独身貴族を満喫している自分には、当然夫婦関係や親子関係に関する相談に、限界がある。どうせ、1回来たら懲りるだろうと、安直な気持ちで、応接間に通した。

 まずは、主訴を把握せねばと思い、事情を話してもらった。教科書通りに、座る位置も正面から少しずらした話しやすい気遣いをして、カウンセラーの3条件から逸脱しないように、精一杯「傾聴」に努めた。

 リアクションが効果的だったのか、話は萎んでは縮むを繰り返して、続いていった。途中で言葉が出ない時も、沈黙は宝と自分に言い聞かせて待つと、徐々に霧が晴れていくかのように、悩みの本質が明らかになっていった。Tさんの困り事は、学校に行かなくなった息子の心理状態よりも、心配している母親本人にあることが、明らかになった。

 焦点化すべきは不登校の息子よりも、母親のTさん本人なのだった。事情を一通り話した後の表情に、話す前の曇りは消えていた。浮かべる笑みに、自虐的な思いが込められていると思った。また、諦めの表情も見え隠れした。そして、予想通りの質問が来た。

「息子を、どうすればいいのでしょう?」

 必ずこういう質問をされるが、「そろそろ魔法の杖を使ってください」と聞こえてしまう。しかし、つっけんどんな返し方は、当然避けるべきで、「それを一緒に考えていきましょう」と言うか、自力解決に期待していくというような言い方をするべきだ。自分に何度となく、言い聞かせた。

 精神科医ではない心理士が、投薬などできるはずもないので、上位下達ではなく同じ高さに目線を合わせつつ、持てるスキルを発揮していくしかない。そんな説明に納得してもらえるように努めるのが、私たちの役割だ。とにかく、丁寧に説明した。

 Tさんは、すんなりと受け入れてくれた。息子を変えるには、まずは自分自身の見方・考え方を変えていかなければならないと気づいてもらえたようである。

「いつ頃から、学校に行きたくないという感じになりましたか?」
「そういえば、反抗期と言うんでしょうか。私と会話が少なくなった頃です」

 そこで、息子が、学校に行くのを渋り始めた時期と成長過程との関係を、時系列的に聞いていくことにした。そして、母親に心理的距離を抱いた時期を見出すことができた。

 第二次性徴期のスタートにより、息子に男性を感じ取って、自然に母親が距離を置くようになった頃だった。息子の側でも、そうした現象を隠そうとして、会話も意図的に減らしていったようである。

 親子の会話は、勉強してるかとか、志望校はどこにするというふうに、表面的になっていった。それが、積もり積もって、何かが引き金になり、登校拒否状態になったのではないか。これを、一応私の「見立て」とした。

 この「見立て」を本人に直接伝えて、メリットは何もない。かえって悪化を招くことになる。あたかも自分の意思で行動した結果、良い方向に向かったと思ってもらうことにカウンセラーの存在価値があると思うからだ。

 私は、意を決して、これから問題の核心に踏み込んでいくことに決めた。

「息子さんが、一番可愛らしかった時期は、いつ頃か覚えていますか?」
「保育園の年少組。だいたい3歳頃ですね」
「今、その時と同じように、息子さんを見ることができるでしょうか?」
「とっくに身長は抜かれて、今は170センチ以上あるんです。声変わりで太い声を出して、口の周りにヒゲまで見えて.....」
「大事なのは、赤ちゃん扱いではなく、その頃と同じ目で見るように頑張ることですよ」

 Tさんは、やっと納得して、うなずいてくれた。「なぜ?」と訊かなかったのは、置かれた状況を薄々感じていたからだと思う。

 設定されていた面接時間が過ぎ去った。Tさんは、帰り際「来週、またお願いします」と言い残した。そのとき、引き受けてしまった重大さに、改めて気づかされた。
                 つづく


追記:「登校拒否」という表現をわざと使いました。何らかの理由で、学校へ行くのを拒否している状態のことです。「不登校」は、30日以上学校に行かない状態が続いていることされています。後に「不登校」に一括りされました。なお、本編では、本人の意志に重きを置きたくて、前者を使っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?