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ケース1998②

 予約した時刻に、Tさんの訪問。予想通りの話から始まった。

「無理でした」
「高2のと、3歳の頃とでは、何もかも違い過ぎます」
「3歳のような接し方をする前に、私と目を合わせてもくれないんです。声をかけても生返事しか返って来ないんです」
「あれから、何も進んでいません」
「こんな子にしてしまったのは、私のせいなんです」「私が悪いんです」

 どうやら、自己否定的な話が、どんどんエスカレートしていきそうだったので、ちょっと話題を変えてみた。できれば、一人称の話から、三人称の話に転換して、少しでも前向きに考えて欲しかったので。

「先週、息子さんと、目を合わせることができましたか?」
「できませんでした」
「できなかった時、どんなことを感じられましたか?嫌がられたとか?」
「嫌がりはしませんでした。嫌だったのは、私の方なんです。しばらく、まともに話もしていませんでしたから」

 まだ早いかとは思ったが、少し掘り下げた話にしていくことにした。

「二度目に挑戦してみますか?3歳児としてではなく、現在の息子さんそのままに対して真っ直ぐ目を合わせて、日常的な話を」
「やってみたいと思います。会話を拒んでいるのは、子どもではなくて、私自身なのですから。私が悪いんです。何とかしなければいけないのは、私の方なのですから」

 ねらいのアウトラインに近づいたようだ。Tさんが、問題を他人事とせず、自分自身の問題として考え始めたからだ。更にもう一層掘り返してみることにした。

「悪いとおっしゃいましたが、ご自分のどんなところが悪いとお考えですか?」

 Tさんは沈黙した。1分ぐらい後に、慌てて話そうとした。しかし、言葉にならないまま動揺している様子だった。

「話すことが浮かんできた時に、お話しくださっていいんですよ。この時間は、あなただけのためにあるのですから、どう使われるかは、あなたの自由です」

 Tさんは、安堵した表情になり沈黙は続いた。Tさんは目を閉じて、あれこれ思いを巡らせているようだった。そして、しばらくしてから口を開いた。

「やっぱり、17歳の高校生を3歳児のように見つめることは、無理です。頑張っても、できないと思います」
「そうでしょうね。外見も大きく変わり、声まで変わっていますから。息子さんは、あなたに対して、どんな態度を見せますか」
「さっきも言いましたが、会話が少ないので私のことをどう見ているかといっても」
「思っていることが、よくわからない?」
「はい、親として恥ずかしいことですが」

 私自身も、話の方向性を見失いかかっていた。そこで、傾聴に徹することにした。

「ちょっと私も行き詰まったようです。話しやすそうなことを、お聞きします。息子さんが3歳の頃、どんなお子さんだったか、思い出すだけ、お聞かせくださいますか?」

 次々とエピソードが出てきた。扁桃炎の影響とかで頻繁に高熱を出して、心配することが多かったとか、言葉を覚えて話し出すのが早く、3歳ぐらいにもなると、夫婦の会話の口真似をするようになったとか、実に楽しそうだった。こちらも同様に、楽しい思いになっていった。よほど可愛いかったのだろう。

 意外にも、話は、息子の最近のエピソードに変わった。高校入試の前までは、いろいろなことを話していたようだ。そして、高校生になって2年目、登校を渋るようになってきたそうだ。仲良しの友人とのトラブルなども、特になかったとのことだった。

 核心を迎えた思ったで、ズバリ訊いた。

「今の息子さんは可愛いですか?」
「はい、大切に思うのは、3歳の頃と変わりないです。夫も同じです」
「ちょっと面倒なことをお聞きします。3歳と今では、外見以外、違いはありますか?」
「あんなに甘えっ子だったのが、全然甘えなくなったところです」
「なぜ、そうなったんでしょう?」
「オトナになったからでしょうt」
「お母さんとして、息子さんにオトナを感じますか?」
「はい.......」

 この後、沈黙が始まった。待った。ひたすら待った。意図的に視線を外して、待った。セッションの終わりの時間が、間もなくやってくる。Tさんは小さな声でつぶやいた。話の詳細がわからなかったが、敢えて問いただそうとは、しなかった。「オトコ」という単語が聞き取れたからだ。

「終わりの時間になりました。中途半端に終わるようですが、話し合いは順調に進みました。いかがでしたか?」
「私もはっきりとしたことに気づきました」
「それは何よりでした。次回は、どうしましょうか?」
「来週ではなくて、しばらく時間をいただきたいと思います。よろしいですか?」
「わかりました。話したいことがたまってきたら、またおいでください」

 2回目が、終わった。見立ては、ある程度的中したようだ。Tさんは、息子に男性を感じている。それが自らの言動を頑なに制限している。そして、知らず知らずのうちに、2人は疎遠な関係になってきた。母親に一部見放されたと感じた息子は、寂しさの裏返しから、学校に通う意味を、どこかに失くしていった。

 息子が年を重ねて、成人を迎えた時にこの問題は自然消滅するだろうが、何らかの手立てを講じないと、高校を留年、中途退学に至るだろう。ここは、母親の接する態度を大幅に変化してもらうことが、必要だろう。そのため、無理な行動目標を投げかけたが、そう簡単にはいかなかった。

 できることなら、彼本人との面接ができればいいのだが、すんなりとそんな場面に引っ張り出されるはずもなかろう。そのため、父親も含めた親の変化を期待したい。

 その後、面接は3回続いた。問題の中枢からは離れて、カタルシスを感じる場として利用すると決めたようだ。Tさんは、帰る時に微笑みを浮かべて挨拶をするようになった。悩みを吐き尽くした、スッキリ感が伝わってきた。

 その後の息子がどうなったか、知らないままである。その話題を出してはいけないという無言の意思が、Tさんから感じられたからだ。カウンセラーの利用方法は、何が正しくて、何が間違っているということはない。

 こうして、相談は5回で終わった。これで良かったのか、自問自答を繰り返した。 fin



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