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若者浴again!

 10年ぶりの学校勤務になりました。10年前に転職したからです。生徒数500人余の中学校から、乳幼児数70人余(正職員10名)の託児施設へ移りました。以前の1億分の1の楽な仕事に不労所得。超運動不足に、暴飲暴食と、生活は悪化する一方でした。

 転職と同時に、第一子が高校に入学。1歳7ヶ月ずつ離れた3人の我が子たち。3番目の子が中学校に入学。その時、何枚かの一幕を下ろした感じでした。そして、時間経過だけを待つ生活に耐える日々が、続きました。60歳の定年まで、まだ8年もありました。

 転職して半年。どうも心身がギクシャクしてきました。特に体調を崩したわけでもないのに、気力と称する心の養分が抜けていく感じがしたのです。日常の仕事が、書類のハンコ押しや月毎の会計決裁なんていう、やりがいもかけらもないことばかりでしたから。

 そんなに暇なら。ホールで「自由遊び」をしているちっちゃい子どもたちと遊べばいいと思うでしょうが、幼児との遊びは、基本的に1対1の対面で成立します。ホールで遊んでいる幼児たちは、目的もなく走り回り、自分の体を動かすのを、シンプルに楽しんでいるだけで、満たされているようでした。

 暇を持て余した私が、遊びに乱入して、1人を両手で抱き上げて定番の高い高いをしたら、エンドレスの行列ができました。2周目には、両肩が亜脱臼状態になり、激痛でギブアップ。そして、余計なお世話をしたことに気づき、そそくさと退場しました。

 現役時代、久しぶりに会った知人は皆、枕詞のように「お前、変わんねーなあ」と言いました。まあ、頭髪の衰退も40代でストップして辛うじて残り、その時以来は丸刈りを通し、急に増加した白髪も染めたりして、策を講じたからでした。

 しかし、実年齢よりも若く見える理由は、前向きなものの考え方・考え方にあると指摘してくれた知人も少なくなく、その源は、日頃から若者のエネルギーを浴び続けていることにあったのです。長年に渡り、生活の大部分で「若者浴」をしてきたお陰なのでした。

 しかし、「入浴中」には、そういう恩恵に預かっていることに気づくはずもありませんでした。気づいたのは、皮肉にも転職後数年過ぎてからでした。以前の仕事を自分の意思で断ち切ったものと割り切って、自然の成り行きと諦めていると、老いが急加速を始めました。そして、自己防衛反応の制御不能寸前に、定年退職可能な時を迎えました。

 問題は、退職後に倍増します。辞めてすぐにフリーランスとはいかず、社会人をリタイアするわけにもいきません。何もせずに生活する権利が与えられるという考え方は、大きな誤解です。つまり、まだ老後の段階に達していないのです。単純に年齢を重ねただけで何も変わっていないことを、忘れてはならないのです。

 そうした心の持ちようは、勘違いしている年寄りになってしまわないよう、継続することが肝要かと思われます。つまり、働くことを停止しないことです。60代後半から70代にかけて、積極的に何らかの仕事を継続している人たちは、一様にこう言います。

「昼間のワイドショーを見続ける暇な状態が何よりも恐ろしい」「時間つぶしのパチンコになると、終末期だ」「世の中から隔離されたら、おしまいだ」「悠々自適など幻想だ」

 はてさて「老後」とは、どういう状態なのでしょう?読んで字の如く「老後」とは、老年期の後の段階のことです。定年退職で長年の仕事を終えたすぐ後は、老年期の始まりであり、老後には程遠い段階なのです。

 また、老後のスタート年齢は、年金支給が後回しになったように、昔と違って何歳と決めつけられぬ時代になっています。65の人がいれば、80の人もいるでしょう。生涯現役の人に老後はなく、人によりけりが本当のところでしょう。

 ニュースでよく言われる「65歳以上の高齢者」は、健康年齢をベースにした言い方です。例えば重い病を得た時に、本格的に老後が始まるケースも多いかと思います。いずれにせよ、老後は社会とのやり取りを断った時に、スタートすると考えるべきです。

 現役世代で、定年退職後の悠々自適な生活に、憧れを抱いている人も、多いでしょう。そんなあなたが、「定年退職後は、二度目の職業生活が待っている」「老年期でも働かないと、幸せな老後にはなり得ない」と言われたとすると、どんなリアクションをするでしょうか?ただ落胆するだけだとすれば、世を知らぬ人物の確たる証拠になり得ます。

 定年退職後、生まれて初めて、ハローワークに行きました。1日あたり7,000円余の手当を貰い、就活するためです。ここで、60の壁を経験しました。悲惨な結果として、2年間で2勝30敗でした。

 しかし、世を知らぬ自分と、じっくりと向き合得たのは、有益でした。30敗の内の27敗は、書類選考だけで不採用が決められました。頑張って働くぞと息巻いても、還暦を過ぎた者にとって、世は甘くないのです。齢60で、社会からお払い箱になるとは、想像を超えていました。

 こんな時に幅を効かせるのが、資格に基づく公的スキルです。現役で実務経験の有無が雇用する側が重視するのは当然です。無資格未経験、還暦超えの人物の雇用に積極的な事業所など、あり得ません。

 結局は、再度教員として臨時任用してもらえることになりました。若者浴が、再開しました。10年前と大きく異なるのは、浴びている状況を意識している点です。若者の相手は、脳の高速回転要します。また、空気の濃度が低い感じがします。基本的に立ち仕事なので、体全身にダメージを感じます。

 しかし、「やりがい」は、徐々に復活してきています。現在は、教職員の99%が年下だという、最年長の新米の臨時職員としての立ち位置を模索中です。これから、若者浴の効果を感じていくと思われす。さて、10年のブランクは埋まるでしょうか?

追記:老後の概念について、私的な枠組みを越えて、一般論として語りたい意欲が湧き出てきましたが、字数がかさんできたので、別稿でお届けしたいと思います。







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