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マンモス

 赴任校が決まった。言われるまま3月29日に、新潟県某市の教育委員会に行った。すぐに、赴任校まで車で送ってくれた。その車中、市役所職員の皮肉っぽい話を聞いた。

「N中ですか。そりゃご苦労様ですねえ。」

 昨年度まで総学級数36クラスを有する県下第2位のマンモス校だったそうだ。今年度から、分離してOJ中学校ができて、24クラスまで減った。しかし、新設校には、多くのお利口さんが行き、減ったとはいえ、その学校には「荒れ」がそのまま残ったそうだ。

 N中学校に着いた。1階の事務室で諸手続きを済ませ、2階の職員室に案内された。ところが案内された部屋には「教務室」の札が付いていた。新潟県では、そう呼ぶのだと教えられた。カルチャー・ショックの軽いジャブが入った感じがした。

 一礼して教務室に入った。その異様な広さに圧倒された。普通教室3クラス分ぐらい細長く広く、部屋の奥の人が霞んで見えるぐらいだった。教員は何人いるのだろう?こんな大きな学校に、どんな生徒がいるのだろう?

 『ビーバップ・ハイスクール』が、当時大ヒットしていたそうだ。ツッパリ男子は、ベンクーガー社製の短ランボンタンを着て、髪型は脱色にリーゼント。中には、太めのチェーンやメリケンサックを持っている奴もいたが、彼等なりのルールで威嚇道具とされて、実際に暴力行為には使わなかった。

 女子生徒は、スケバンルック。ミニとは正反対の床を引きずるスカートに脱色にパーマヘアに真っ赤な口紅。指には2枚カミソリ。決まり文句が「これで切られると、傷口が縫えないんだぜ」で、ニヤリと笑い、独特のポーズで決める。これも、実行例はなく、威嚇のアイテムらしかった。

 しかし、全校1500人超で、そんな恰好をしているのは、ごく一部。そんな身なりをする審査基準は、かなり厳しかったようである。しかし、身なりの状態に関わらず、学校全体が、関東から流れてきた「荒れ」がピークの時代であった。タイミングとしては、最悪の時期だったらしい。

 新任式の日。20人を超える新任者は、長い列になって、廊下で待っていた。最後尾はちょうど生徒用トイレの前だった。廊下は、天井に靄がかかっているように見えた。タバコの煙だ。その発信源は、どうやら男子トイレのようだ。ドアを開けると案の定。そこは煙が充満していた。

 すぐに煙の発信源に気付き、清掃用具入れのドアをこじ開けた。いた!2人の男子生徒がいた!よりによって、2人とも火のついたタバコを持っていた。逃げようとしたので、足払いで転がした。他の新任者たちが押さえつけた。担当教員が来て、連れて行った。

 そんなことがあった後になっても、新任式はまだ始まらないようで、列は動かない。どうやら、体育館に在校生の1000人を入れて並ばせるだけなのに、30分以上かかったそうだ。前の方から「どうなってるんだ!」とイラついた声が飛んできた。

 式では、校長の話など、聞く耳持たず、教師が指導に行くとすぐ、胸ぐらの掴み合いが始まり、あちこちでケンカが発生した。そんな中、20名超の新任者の一人としてステージ上で椅子に座って待っているいるのが、心底アホらしくなってしまった。

 入学式の時も同様に、在校生1000人のガヤガヤ状態は変わらず、時々素っ頓狂な叫び声で厳粛さのかけらも見られなかった。真新しい制服に身を包んだ新入生も落胆の表情を浮かべたり、中には足が震えている子さえも見かけた。義憤を感じた。この時、荒れた中学校の現実に身を置いていることを、初めて実感した。そして、この職業に就いたことに対して、猛烈な後悔の念が湧き上がった。

 とにもかくにも、中学校の教員生活は始まった。わからないことが多すぎて、ただ時が過ぎていく。先輩の先生方に質問しても、何も教えてはくれなかった。忙しくて、新人の面倒を見る余裕などないようだった。ただ、2回ほど、多人数の先輩たちに囲まれた。

 まず、この県特有の学閥への入会で、ここはイチョウ会の学校だからと、入会させられた。そして、日教組へも強制的に加入させられた。生来、徒党を組むことが、男としてはカッコ悪く思い、借り物のキャッチフレーズの「男は黙ってサッポロビール」のプライドなど、簡単に引っぺがされてしまった。

 かくして、マンモス校での教員生活は始まった。自分が「デモシカ」教師だという事実を、突きつけられた感じだった。学校周辺の新興住宅地が、一瞬モノクロに見えた。一軒家よりも、雇用促進住宅のビルやアパートばかりが建っている。そこには、空き地の多い荒涼とした風景が広がっていた。

 そういえば、まだ1回も「校歌」を聞いていなかった。メロディアスないい曲だと伝え聞いただけで、歌詞は目にしていたが、生の歌声はまだ聴いていなかった。

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