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エスケープ

 3年部所属を命じられた。学級担任ではない。使いっ走りといったところである。学年部のメンバー構成は、学年主任、副主任、学級担任8名、学年所属3名という、13名の構成だった。

 臨時講師も非常勤もいない学校だった。つまり、こんな大規模校でもパートタイマー教師は、1人もいなかったのである。後に、これが珍しい体制であることに気づく。しかし当時は、何の疑問ももたなかった。

 学年所属も若者が3名も配置されているということも、1、2年部が1名しか配置されていなかったことの意味も、後から知ることになる。言うなれば、特別措置なのだった。

 最初の授業は、304だった。「サンマルヨン」と呼ぶのが慣例となっていたのは、昨年まで「312=サンイチニ」と呼んでいた36クラス時代の名残りだと聞いた。

 教室に入ると、あらかじめ予想していた光景を目にした。教室後ろのロッカーの上に3人のツッパリ君たちがいて、マックスの騒音で和製ハードロックをラジカセでブチ流していた。思わず駆け寄り「こら、授業が始まってるぞ」と言ったら、他クラス所属の2人は案外素直に出て行った。残されたツッパリ君1名は、自席に座った。

 号令に合わせ型通りの挨拶をした。45名の学級だ。結構多いなと思いつつ、自己紹介の途中に、自分の名前を黒板に書いていく途中、「気配」がした。構わず書いていると、右耳たぶをかすめて、黒板に椅子がブチ当たった。奴が投げつけたのだ。後ろからだから放物線を描いて飛んできたらしい。

 まさか、ギリギリを狙って椅子を投げつけたわけでもなかろう。後頭部に直撃したかもしれない。黒板は、ヘコんだ。2人がすんなり出て行った訳がわかった。こちらの出方を待っていたのだ。彼に歩み寄り、胸ぐらを掴んだ。マッチの棒のように痩せてはいたが、こちらは身長180cmのタッパあり。掴んだ手を払いのけて、教室から飛び出した。

 次の瞬間、学級委員の男子生徒も飛び出した。職員室にエスケープを報告に行くのだ。まだ名字までしか書いていない。息を整えて名前を書き終えた。そして、かんたんな自己紹介をした。

 その後、することがなくなった。だいたい教壇に立った経験は、たった2週間の教育実習だけだから、ジョークひとつもネタがなかった。50分授業の終わりまで、時間は相当残っていた。だめだコリャ。そのまま、教室外に飛び出したくなった。

 学級委員の男子生徒が、戻って来た。すぐに、場の雰囲気を察知してくれた。司会者役を上手にこなして、場を和やかにしてくれたのた。さすがだなあと思った。

「では、先生への質問コーナーを始めます」
「先生には、彼女はいますか?」
「いました」
「どうして、別れたのですか?」
「彼女は東京。私は新潟と離れたからです」
「どんな女の子のタイプが好きですか?」
「性格美人かな」
「このクラスで性格美人は誰でしょう?」
「えーっと.......?」

 笑いが起こった。その後も、質問が続出した。趣味のこと、好きな食べ物のことなど、いろいろ出てきた。司会者の機転で、演目は変わった。

「先生のことをいろいろ質問したので、今度は、僕たちの自己紹介をします。制限時間は30秒。では、僕から........。」
 
 俺にはカンケーネエと参加しない生徒も何人かいた。司会者は、その都度うまくスルーしていた。45名中、10人以上、こいつになど興味なしと拒絶の意志を示した。

 途中で飛び出した彼が、連れて来られた。司会者は、何事もなかったように、彼をスルーして指名を続けた。彼は、自分の椅子に座り、机に足を投げ出した。戻って来たのを良しとして、敢えて何も言わなかった。

 チャイムが鳴った。司会者の子に「助かったよ。ありがとう」と礼を言い、職員室、いや教務室に戻った。最初からスリリングな時間を過ごした。次のクラスから、304の段取りを拝借して進めることにした。

 中学校の時間割は、1日6時間の授業の中で、最低1時間は授業を入れないように作られている。これを「空き時間」と言い、通常ならば、教材準備等々、個人的な仕事ができるようになっていた。

 しかし、実際的には、空き時間が苦痛に感じた。授業時間になっても、欠席者以外に教室に誰かいない場合、学級委員が教務室に報告に来る。その対応として、学年部のスタッフが校舎内外を探し回ることになる。3年部に学年所属教員が3人もいるのは、その必要性に応じてということだ。

 こうした授業エスケープは、毎回のことであった。空き時間のスタッフは、1、2名だった。見つかるまで探せという指令が出されていた。歩きっぱなしである。そして、見つけたら追いかけっこか胸ぐらの掴み合いということになる。探す範囲は、校舎周辺にも及ぶ。空き時間は、とにかく疲れたものだ。

 学年主任のM先生の口癖は、「絶対、引かない」という大相撲の用語風であった。激昂すると、時にはこちらを殴ろうとする。そんな場合、大声で怒鳴りつける。授業中の数人が来て、押さえつける。生徒はわめけど手を出せない。そんなことが、日常化していた。

 1日の授業時間は、とてつもなく長く感じたものだ。しかし、この状態は、まだまだ序の口なのであった。これで驚いては、この学校にはいられないのだった。

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