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美味しい北海道

 個人的に、一番好きな山。北海道の羊蹄山です。富士山よりもすっきりまとまった台形は、本当に美しいです。周囲に小山を控えることなくそびえている孤峰は、気高くも見えます。北海道への修学旅行は、こうした絶景を観る楽しみがあります。

 平成2年、何となくUターンして、全校生徒1000名余の中学校に赴任しました。当時、東京には350名の修学旅行生を収容できるホテルや旅館はなく、やむなく行き先を北海道にしたそうです。交通機関もままならず、専用列車をチャーターする始末。通常運行の列車を避けながら、のろのろと青森に向かいます。最初の目的地である洞爺湖駅まで12時間も乗りっぱなしという年もありました。また、別パターンとして、青森から青函フェリーに乗って、函館から桧山観光のバス8台で移動ということもありました。

 いずれにせよ、最初の宿泊地は洞爺湖温泉でした。夕食は、ジンギスカンが定番メニューでした。専用の鍋に野菜を敷き、その上に肉をのせて間接的に蒸した肉を食べるという正式な食べ方には、何度食べても馴染まない感じでした。1日目は、移動だけで終了してしまいました。後に改良されていきます。

 2日目は、まず昭和新山へ。ここで記念撮影して、アイヌの歌や踊りを見ます。何人かを引っ張り出して、私も一緒に「♪ピリカアア、ピリカ」と歌って踊ります。ここで、なぜか買い物タイム。我々引率陣は2階で会計して、オール半額になりました。私は、何も買いませんでした。列車内でツアコンさんに生きた毛ガニと礼文島のウニの瓶詰め、2万円分を注文していたからです。ここで、男子生徒が買うのは、やはり木刀でした。

 そして、洞爺湖を見下ろす高台を北西へ。目的地は、ルスツ・リゾートです。ガイドさんが必ず、このスキー場で、加山雄三さんが骨折した話をします。羊蹄山が間近に迫ってきて、まさに絶景でした。きれいなホテルで部屋ごとにユニットバス付き。順番を決めて風呂に入れる必要なし。また、ここには富士急ハイランドを凌ぐ、広大なスケールの遊園地があります。

 到着後、遊園地前の広場に集合して諸注意を。解散の合図で、私は脱兎のごとくホテルに逃げ、5,6人の男子生徒が追いかける光景あり。つかまえて、怖い乗り物まで連れて行かれ、札幌でラーメンをおごったいきさつが、代々伝わっているのでした。しかし、ホテルまで捕まらずにたどり着けば、再度の手出しはしない決まりがありました。それでも2回捕まって、フリーフォールと大型バイキングで悲鳴を上げました。

 翌日は、札幌へ。途中、羊蹄山のアップが見える中山峠で、「あげいも」を配布。朝食のバイキングを食べ過ぎた生徒は、苦しそうに食べていました。男爵いも3個を串に刺した代物。計算ずくで朝食を控えめにした私は北海道の味覚を楽しみました。

 バスは、定山渓、真駒内を通過して、札幌市街へ。大通公園の近くで、それぞれのバスに乗っているツッパリ兄ちゃんたちや、ヤンキー姉ちゃんたちが出会えない場所に停車。短ラン・ボンタン・リーゼントの彼が、脅しに負けてズボンだけ標準服という珍妙な格好で、グループ研修に出発していきました。ここでも、当初は、全員でサッポロビール園見学やクラス別観光という時もありました。

 何度も行ったので、記憶が混濁していますが、ニセコのドライブインで、カニ飯を食べるのも定番でした。とにかく3泊目は函館の湯の川温泉。函館山の夜景見学をしました。ここが、なかなかの危険地帯。薄暗い中で、他校生とガンの飛ばし合い。厳戒態勢を発動して、ツッパリのボス君に号令を出させないようにして、事なきを得ました。

 ここで、メインディッシュ登場。別室には旅行社のおもてなしあり。1人に1杯、函館朝市で仕入れた毛ガニにウニなど、北の味覚のオンパレードでした。毛ガニ1杯は、推定価格8,000円也。それに、サッポロビール・クラシックを流し込めば、最高でした。今、そんなことがあったら、大問題になるでしょう。団長の管理職が、酔っ払うぐらいでしたから、実に鷹揚な時代でした。

 帰りのチャーター列車のグリーン席で寛いでいると、旅行社の人が、注文済みのお土産を持って来ました。発泡スチロールの箱にはガサゴソ暴れている毛ガニが2匹。そして、小さな瓶入りになっている礼文島のウニが渡されました。

 3泊4日のグルメ修学旅行は終わり、カニとウニを持って帰ろうとしたら、当時副主任の先生が、駅前の居酒屋を指差し「30分一本勝負!」との指示。ちゃんと夜中まで飲んで帰りました。お陰で、カニは息を引き取り翌日の夕飯のご馳走となりました。

 それから16年後、東日本大震災が起きました。1年生1学期に予約済みの新幹線はストップして、私が所属から外れた2年生は、修学旅行の行き先を変えなければならなくなりました。それもあって、再度学年主任に戻りました。行き先は、決まっていました。北海道でした。

 私以外、北海道への引率経験ゼロ。また、現地で頼りになる桧山観光バスは、予約がいっぱいで、地元のバスで北海道を巡ることになりました。運転手さんは、皆未経験者でした。なお、バスガイドは、札幌の会社からの派遣してもらえるとのこと。

 16年前までの記憶に頼るしかありませんでした。ツアコンもベテランの人でしたが、地理不案内でした。つまり、175人の生徒たちの修学旅行の成功は、私のおぼろげな記憶だけが頼りでした。

 生徒全員を集めて、何度も話をしました。何とかモチベーションを高めて欲しいと思ってのことです。過去5回の経験から、北海道の魅力を語れるだけ語りました。少しずつ、熱意が浸透していくのが、わかりました。

 ただ、心を痛めたのは、福島県南相馬市から避難して来た転入生のことでした。青函トンネルも使えないので、フェリーで海を渡るしかなかったのです。彼女は「海が怖い」と言って嫌がりました。結局、参加者から抹消することになった時、泣けてきました。

 旅行の日程は決まっていて、宿泊先も決まっていました。助けられたのは、ルスツ・リゾートと函館の高級ホテル「ラビスタ」でした。とにかく、全員の行動よりもクラスの行動、グループの行動を優先しようという結論になりました。

 1日目、函館からの道央自動車道のお陰で昭和新山をクリア。2日目は、5台のバスが別々に札幌、小樽方面へ選択研修。私は、小樽に行きました。すっかり観光地化していてかつて小樽商科大学を受けた時とは、全く別の街になっていました。

 ルスツにもう1泊。翌日は、朝から大遊園地で遊び放題。そして、函館五稜郭へ行き、ここでグループ別行動開始。函館駅まで向かわせました。エゾザクラが満開で、遅い北海道の春を感じました。

 ホテルは知る人ぞ知るデラックスな空間でした。お決まりの夜景を見たまでは、晴天に恵まれました。翌朝は、台風並みの暴風雨。船が出るまで、時間はたっぷり。そこで、名物のバカうま朝食をゆっくり食べさせることにしました。そして、すぐ近くの赤レンガ倉庫群で買い物。

 揺れに揺れるフェリーに乗って、青森からは、一般道、高速道を乗り継いで、無事に帰着。振り返ってみたら、3泊4日で、ベッドで眠ったのは、合計8時間。16年前の記憶では間に合わないことが、山積みでした。極度の緊張状態だったと思われます。

 北海道は、修学旅行で行く価値ありです。何よりも、本州との空気が違います。クラークさんの「少年よ、大志を抱け!」の土地に中学生を連れて行く意義は十分。学習のねらいは、いくらでも出てきます。学習素材の宝庫と言えます。

 今度の修学旅行を北海道にしませんか?学びの成立が可能ですよ。また、わざわざ行く所というのが、魅力です。私は、リピーターとして、函館に家族旅行で行って来ました。函館山の夜景も昼景も見て来ました。ニセコアンヌプリや下北半島先端の大間の街まで見えて驚きました。いろんな意味で、北海道は美味しいのです。ぜひ、どうぞ。

追記:次回はいよいよ沖縄編です!




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