見出し画像

サウイフモノニ

 大学院の指導教官の先生は、常にジーパンとポロシャツ、トレーナー姿を貫くちょっと変わった人でした。学位記授与式の記念写真でもスーツ姿の修了者たちに囲まれて、やはりジーパンとトレーナー姿で写っているという徹底ぶりでした

 35歳の若さで助教授になるという優秀な心理学者。しかし、出世志向はゼロ。教授会など出席ずに、マイペース&マイスタイルを貫き10年。年寄り連中と相当なバトルのためのペルソナとして、ラフな格好に加えて出勤は正午過ぎになったそうです。

 羨ましい限りの生活です。ゼミの学部の女学生が洋梨を切って供すると「私もヨウナシ(用無し)なんだ」と呟き、ゼミの学生たちをあたふたさせて楽しんでいたり、笑わないと申し訳なくなるオヤジギャグを連発したり して、30代の私たちに同レベルのくだらないジョークを求めてきたりしました。

 そんな冗談など、軽く受け流せばいいのにそのタイミングたるや絶妙で、この先生が一流のカウンセラーであることにも納得できます。心理学は、統計学的な要素が大きく、多変量解析をさらりと語れる研究者、指導者としても優秀。しかし、幅広く深い人間性はお笑い芸人としても秀でていました。

 そこには、学生たちのモチベーションを維持する綿密な配慮があったと言えます。真に場の雰囲気づくりの天才でした。その境地に至ったのは、カウンセリングを奥底まで研究してきたことにもよるでしょう。学生たちの機嫌取りでは、ありません。そんな低レベルな考え方に基づく言動では、ないのです。

 ゼミの旅行で、お土産屋さんの店頭にあった”売り物”の温泉饅頭を、いきなり1つ食べて、「美味しかった。おいくら?」という突然の逆転行為。一同硬直して見ていました。ゼミの先輩に言わせると、自由な思いや感覚の持ち主だからこそできる。ロジャースの言うところの「自己一致」の条件を満たしている証拠だと言うのです。さもありなん。

 大学院2年間、先生の言動の猿真似を試みましたが、無理でした。また、ゼミ旅行の宿泊施設を上限4,000円以下にする徹底ぶり。最も閑散期の場所を見つけて、新潟の酒持参で行くのです。景色を眺める風流な目的意識は、皆無。風呂入って、飲むだけです。

 旅館側としては、10人以上も泊まってくれるだけで有り難く、持ち込み料金も請求しませんでした。例えば、スキーもできず、紅葉シーズンでもない、長野の白馬村など。そんなオフシーズンなので、客は我々のみ。夜中に騒ぎまくっても、苦情無しでした。

 先生は、旅館に着くとすぐに浴衣に着替えます。改めて見ると、必殺仕事人の中条きよしのような姿が、実にカッコいいのです。しかし、ホントかウソか判別できない発言が始まると、イメージはもろくも崩れ去ります。

 私たちが修了と同時に、先生も東京の私大に移られることになりました。その頃になると、盛んに学生たちに奢り、自称「ニュー・リッチ」だそうです。送別会をする旅がしたいと進言すると、すぐに「北海道」という返答。私たち院生は、その意外さに驚き、慌てふためくことになります。

 修学旅行の引率だけで、5回も北海道に行ったことのある私の出番でした。2泊3日で昭和新山、サッポロ・ラーメン、函館の夜景ぐらいは入れなければなんて、にわかツアコンになり、最安値のプランを立てました。学部生たちも、何とか参加できる値段です。

 それを先生に提案して、却下されました。私たちの勇み足でした。会場は、大学近くの安さで知られる「居酒屋 北海道」というオチに相成りました。ニュー・リッチ発言が、誤解を生んだのでした。騙したつもりなど露とない先生は、だだ楽しそうでした。

 ひとつだけ、ドキりとした話があります。偶然、研究室で先生と2人になった時です。

「ねえ、髙橋さん。セラピストのスペルを途中で切ったら、どうなると思う?セラピストは、Therapistでしょ?最初の3文字でスペースを入れたら、The ------だね」

 返答できませんでした。「治療によってクライエントがトラウマになる程、心を傷つけることもあるということでしょう」なんて言えたら、粋だったのに。未だに、その話は、頭を離れません。同じ話を同僚にすると、顔色が急変。悪い冗談と断定されました。

 2年間の精神的自由を満喫して、教育現場に戻りました。私が身に付いたと確信しているのは、日々の生活の中で “must” を適度に外していくことです。気持ちを開放的にする方法です。具体的には、生徒に指図することから、考えて自己判断させるスタンスで、ファシリテーターに近づいていくことです。

 また、生意気盛りの中学生に対して、人として発展途上にあることを、可愛いと思えるようになったことです。目に見えない宝を手にしている実感は、齢63の今も続いています。これを後輩の誰にもプレゼントできなかったことを、後悔する日々が続いています。

 先生を尊敬し、敬愛し、憧れています。こんな素敵な言葉をいただきました。究極の人生訓です。私の座右の銘にしています。

「49%は人のために、51%は自分のために、100%生きていってくださいね」

サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
         (宮沢賢治の詩より引用)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?