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一度だけの、月の博物館

※ネタバレや記憶違いがあると思います。



初めはおとぎ話のような作品なのかと思った。
いや、ヤマケイさんがそれだけで終わらせる訳なかった。
と思うと同時に、理詰めで、これがこうだからあれがこうで、と考えなくてもいいかもな、と思わせてくれる作品だった気がする。
もっとふわふわと、感じたままに漂って、ただ、(あ、キラキラしてる)とか(わかるな)とか(悲しいな)とか(素敵だな)とか、そういう自分の中に瞬間瞬間わき出てきた気持ちを大切に取っておく。それだけでも良いような気もしてきてしまった。
いや、きっと、演じられてるお二人にはヤマケイさんから確固たる解説やリクエストがあったと思うから、知りたいのは知りたいんだけどね。首長スペース待ち。

一度しか観劇してないから記憶違いもあるかもしれない感想を書き散らす。

踊るように語る、語るように踊る。

そのモノがナニか、ああやって想像するのはきっと楽しい。知らなければナニかわからないし、知らなければ全てを楽しくて幸せなコトに使える。コトを間違えるから人間はやっかいだ。

シオンがお兄ちゃん、ユージィンが弟のような関係性。
素直で純粋な、子供のような。ずっとそうであれたら良かったよね。

でも、ここは戦争の星。

美しく幾何学的なデザインの卓上明かりが、効く演出。同じ場所(教会)が一気に変化して見える。小さな明かりをつけることで、周囲が暗く狭く感じられる。

演じ分けの素晴らしさ。
戦の渦中にいる人の緊迫感、使命感。

決められた道筋が、死への恐怖を振り払う材料となるのかもしれない。

ユージィンは死ぬのが怖いと言ったから、シオンは一人で先に行ったのだろうか。
シオンは「想像する」と言って、泣いた。
あの幸せなおとぎ話を想像することが出来たなら、遺されたユージィンの孤独をも想像することは出来なかったのだろうか。
でも、出来たとしても、結局未来の選択肢は少ないよね…。


大事な、月の博物館の扉のくだりが、自分の中でちょっとまだ繋がってないところがあるので、配信でもう一度観たいな。
シオンとユージィンの立場(?)が反転するような感覚に気を取られて、つい、話の内容がふわふわと。

冒頭とラストに出てきた「月のなく音…海に沈む町…」の台詞、全く違って聴こえた。
冒頭では、澄んだ夜空と煌めく水面。
ラストで目に浮かんだのは、暗い水の底に沈んだ廃墟。
鳴く、なのに、泣く、に聴こえた気がした。

手を繋いだ二人の後ろ姿は、あるはずの未来か。
枝分かれした、もしくは反転した世界ならば、林檎は林檎でしかなかったし、月のたまごは孵らなかったのだろうか。
ここも、まだ未消化。配信で噛みしめたい。

終演直後、心に浮かんだことは、
「ここが、戦争の星にならないように、祈ります。」
日本に生きる私にとっては、遠い国の争いは身近とは言えないから、星=本当に星、とちゃんと捉えられていないかもしれない。
もっと小さな、国、とか、地域、とかの感覚のほうで想像してしまっている気がする。
戦争、というものを、本当の意味で想像するのは、とても、難しい。
でも、この星、地球のどこかに、シオンとユージィンがいるかもしれないから(今、この瞬間にも)

最近、仕事でも趣味でも、よく思う。
歌は、祈りだと。
踊りは、祈りだと。
芸というもの全てに、人の祈りが込められているのかもしれない。

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