トランス差別ツイートの源流を辿って

はじめに

私はTwitterで二次創作アカウントを運用している。好きなものに溢れたTLを見られるのは私にとって幸せな時間だった。去年あたりから見知らぬ人のツイートもTLに流れてくるようになった。春ごろからは「トランスヘイト」「おっさんが女湯に入っていい」「ペニスフォビア」など、そんな事言うのはどうなの?と思うような言葉を含むツイートが流れてくるようになった。そのたびにつらい気持ちになり、自然とTwitterから距離を取るようになった。

誰が間違った事を言っているのか、なぜ辛い気持ちになるのか、私の知識ではクリアにできないもどかしさから、ジェンダーについて調べていくうちに、トランスジェンダーのための活動とフェミニズムが対立していることが分かった。

いま出ている日本語の書籍で参考になりそうなのはトランスジェンダー当事者の専門家による問題の総まとめ本『トランスジェンダー問題——議論は正義のために』と、反対派の『TERFと呼ばれる私達: ~トランスジェンダーと女性スペース~』だった。

日本の学術会やメディア、自治体ではトランスアライな前者の立場が多く、後者の意見を見つけるのはSNS投稿などに限定されてしまうため、後者の本を手にとった。ネットでの検索と並行して本を読み進めた中で、新しい世界が見えてきたので共有したい。

トランスジェンダーの定義?

トランスジェンダーについて話すとき、その定義は人によってバラバラである。
例えば、

  1. 異性装者の男性

  2. オペする予定は無いMtF

  3. 今後オペするMtF

  4. オペ済みMtF

  5. 戸籍変更済みMtF

のような人がいたとして、あなたはどの人をトランスジェンダーだと考えているだろうか?先月までの私は3~5だと思っていたが、国連の定義では1~5全てがトランスジェンダーである。『TERFと呼ばれる私たち』でも『トランスジェンダー問題』でもこの大きな括りの「トランスジェンダー」について書かれている。一方で、ネット上の記述を見ると人によってバラバラで、トランスジェンダー当事者でもバラバラである。1~5の違いが重要だという人もいれば、等しく扱えという人もいる。

TERFと呼ばれる人たち

近年、手術の有無に関わらず性自認によって公的な扱いを受けられるセルフIDの制度がアメリカの一部の州やオーストラリアで広まっている。同時に、性自認によって議員の性別や出場するスポーツ部門や使用するトイレなどを決め、性自認によって男女そのほかの性別を定義づける動きがある。この流れに賛同、あるいは推進しているのがTRAと呼ばれている人たち(ここではトランス権利推進派と呼ぶ)である。一方、この動きに反対しているのがTERFと呼ばれる人たち(ここでは女権保護派と呼ぶ)である。

女権保護派が訴えている内容で私が意味を理解できたのは以下の2点である。

  1. トランス女性がトイレやお風呂などの女性スペースを使用しないこと

  2. 男女の違いの定義を、解剖学的な違いからジェンダーアイデンティティ・性自認・性同一性による違いに変更しないこと

まずは、女権保護派の主張について詳しく紹介する。

女性スペースの使用について

女権保護派が女性用トイレや更衣室など、女性スペースにトランス女性が入ってほしくない理由は、性犯罪が増えると考えているからである。

この心配が無用であったことは、アメリカの都市で性同一性による差別禁止法が施行されて廃止されるまでの間にトイレや更衣室で起きた犯罪のデータを使って調べた2018年の論文が示した。ただし、そもそも通報されてる件数が少ないとの批判もある。私自身も、この2018年の一本だけしか根拠にできないの?とも思うし、心配なら同時に安全なデザインにしていけば良いのでは?とも思う。

しかしながら、女性スペース内でのトランス女性による暴行は実際に発生している。ネット上の女権保護派はデマのニュースを持ち出していることがあるが、性犯罪者のトランス女性カレン・ホワイトによる、拘置所内暴行事件は事実のようだ。「トランス女性」だったからこそ無数の性犯罪事件に比べてセンセーショナルに取り上げられてしまっているのではとも思うが、事件が一件でも起こる以上は「怖いから分けてほしい」という声は尊重されてほしい

トイレに関しては、女権保護派は男女だけのカテゴライズでなく、三つ目の選択肢を追加し増やすことを提案している。トイレに関しては既にTOTOやLIXILが既に議論を重ねており、新国立競技場など既に良い事例はあるので、このままの流れで進むものだと思う。

入浴施設については施設によっては刺青やタトゥーを禁止したり、混浴の露天風呂を用意したりするように、管理者によって決められている。術後のトランスジェンダーの人としか一緒には利用できない人は、手術の有無を基準にトランスジェンダーの浴室を指定している施設を選べば良いのではないだろうか。

なぜ女権保護派の人がペニスと連呼しているのか?

国連の定義によるトランスジェンダー女性を女性としたとき、生物学的な女性が「月経のある人」と表現されることがあった。そのことへの批判的な意図を込めているのではないだろうか?女性スペースをトランス女性に利用してほしくないと主張するときに「ペニスのある人」などの表現を使うことはトランスジェンダー女性への配慮がないと感じてしまうので私は不愉快に思う。

生物学的な男女で分けましょう

女権保護派は、セルフIDなどにより性自認によって男女の区分が行われるようになると、議員の女性割合、統計上の女性犯罪者数に影響が出たり、女性差別解消のためのアファーマティブアクション(雇用の女性枠を設けるなど)の機会を奪う事になると訴える。そこで、今まで通りに男女の線引きを生物学的な性で決めることを提案している。

ジェンダーとは変容するもの

ジェンダーとは、社会的、文化的に作られた性別である。ジェンダーにおける女性とは、「幼少期におままごとをしていた」「優しい」「母になる」「家事労働をする」「化粧をする」など保守的なイメージの積み重ねである。髪形や衣服などによる表現する性もこのジェンダーの一部を形成しているように思う。しかし、女性イメージを一部しか持ち合わさない女性も、一つも持ち合わせない女性もいる。国によっても時代によっても異なる概念で、それを基準に性別を自認するとは一体どういうことなのか、私は女性のジェンダーアイデンティティーを自認できたことがないシス女性なのでこればかりは理解が及ばない。ジェンダーイメージに否定的な立場の人などは、例えば女性は結婚すれば「母になり」「家事育児をする」というイメージにより就職で差別されてきたことから、このようなイメージから自由になろうと活動している。

もちろん、生物学的な性と同じ、あるいは逆のジェンダーイメージを多くまとった状態でありたい、それが自分らしいと感じる人もいる。時代とともに移り変わり、人によっては足枷になってしまうものがジェンダーである。女権保護派はジェンダーによって社会運営上の男女を分けることを批判している。

このときに、性自認=ジェンダーアイデンティティであることから、トランスジェンダーの性別がどう定義されるかが関係してくる。

女権保護派は性自認によって男女を定義する悪影響として以下の点を挙げている。

  • トランス女性が、女性のためのアファーマティブアクションを利用し、女性の機会が奪われる

  • トランス女性議員が増えることで女性議員の割合が上がったことにされる

  • トランス女性が犯罪を犯したときに女性が犯罪を犯したことにされる

アファーマティブアクションについては、女性だけが被差別属性なわけでなく、職業差別に合うことはトランスジェンダーが抱える重大な問題の一つである。トランス女性とシス女性では面接のときにその属性ゆえに落とされる確率はどの程度異なるのか、調べる必要が感じられる。女性議員の割合や犯罪の統計は、データとしては長期的に活用しやすいものが欲しいので、トランス女性群とシス女性群で比較できるようにカウントしてほしいと私も思う。

性自認は、ジェンダーという確かに存在するが変容する概念に基づくジェンダーアイデンティティのほか、心の性という表現もされる。しかし、心=脳にも男女の差はない。この事実を知った事で、トランスジェンダーという存在がますます理解の及ばない存在になってしまった。

しかし、理解が出来ないからといって、性自認という概念が存在しないわけではないし、私には理解できない何かがあるのかもしれない

さらには、新たな疑問も次々と湧いてくる。男性の方が女性より犯罪率が高いのは身体(テストステロンの量など)の違いによるものなのだろうか?秋の空のようだとされてきた女心とは何だったのだろうか?多くのシス女性たちが迷わず女子会に参加したり、自分はその性別だからと女子校や男子校を選べるような性別の確信はどのように得られるのだろうか?

キャンセルされる他称TERFたち

『TERFと呼ばれる私たち』の著者らをはじめとする女権保護派は、これまで暴力的な言葉や脅しを受けたり、集会を妨害されたり、ひどい嫌がらせや差別にあってきた(その記録については書籍内の半分以上のページを占めている)。生物学的な性別しかないと主張したこと(性自認の否定)により仕事を解雇された事例もある。先月になって、性自認などについて意見する女性への中傷をやめなさいという声明を国連が出した。著者たちも望んでいることだが、建設的に議論ができる状況になればと切に願う

トランスジェンダーの実情について知った事

トランスジェンダーの人たちが実際にどんな状況にあるのかについて調べているうちに、新たに知ったことがあった。

・医療機関では、まず移行後の性別として過ごす実生活経験を積むよう指導される
・差別する人たちのせいでびっくりするほど仕事に影響が出て、貧困に追いやられている
・手術するには大金と周りの環境と相当な覚悟がいる
・戸籍を変えるには手術し、断種しなければならない

移行初期の段階で実生活経験を積むということは、ホルモン治療も進んでないパス度の低い移行後の外見で過ごすことだ。トランス女性であれば、女性の外見の人として男性トイレを利用するため、その際に驚かれるなどするらしい。手術前であって移行後のトイレを利用することもあるという話には私も驚いてしまったが、特にトイレでは外見で男女を判断せざるを得ないため、気づかないし、他人がコントロールできることではないなと思った
就職時や職場での差別、やりづらさを抱えていることは、女権保護の人たちの主張とバッティングせずに解決できる問題である。トランスジェンダーはLGBと違って就職時に面接官などにカミングアウトせざるを得ないため、差別が仕事に影響を与えている。精神病を持つ人は雇えない、あるいは前例がないと言われ就職の機会を逃したり、ミスジェンダリング(トランス女性を男性扱いするなど)やアウティングの嫌がらせを受けたり、あるいは女性差別と同様の差別を受けている。
性別変更に関しては、皆が若いうちから希望するものとは限らず、周囲の理解や資金力など、移行できる環境が整うまで時間がかかるというのは知らなかった。結婚してから、あるいは子供ができてからそのチャンスがやっと訪れることもあるというのも想像に難くない。性器の外観の変更はそれ自体を望む人だけが行うのが良いとと思うし、親からもらった健康な体にメスを入れることを、戸籍を変える条件にしているのは酷だなと思う。

さいごに

いろいろと読み漁った結果、トランス人権推進派は性暴力に怯える女性の感情への配慮が欠けていると思うし、女権保護派も同様に、差別的な目線や言葉に胸を痛めるトランスジェンダーへの配慮を欠いた発言が散見される。それが、私が嫌だなと感じる所だと思う。同時に、トランスジェンダーについて、その当事者でない私が抽象的な内容であれこれ書くのは失礼だと思う。

私にとっては女権保護派もトランス推進派も共感できる面と理解できない面の両方がある。今後は自分とは異なる体験を持ち、異なる思想を持つ人として、普通に敬意を払いながら接するのが良いのかなと思う。たとえば、ムスリムの同僚のためにお祈りスペースを設けたり、信じている神様をむやみに否定しないでいるように、理解出来なくても平穏に共存できればと思う。







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