和室で見たデオキシス

僕は辺境の村で育った。

周りは見渡す限りの田んぼ。お米を買うという概念がギリ存在しないみたいな地区だ。

田舎過ぎて令和の時代に入った今でも、まだ江戸時代の「屋号」という文化が残っている。

一回、日本列島ダーツの旅でダーツが当たったにも関わらず、あまりに撮れ高がなさ過ぎて取材班が隣の地区を取材したことがあるという噂が流れたことがあった。

まあ、それだけ僕の故郷は田舎だということだ。

これだけの田舎に住んでる人間にとって、テレビ以外のエンタメに触れるのは結構大変なことだった。

今日は僕の住んでいた田舎の映画事情について書いていこうかと。

まず、家から映画館が遠い!

片道30分位かかった気がする!

僕の地元にはワーナー・マイカル・シネマズしか映画館がなかったので、大学生になるまで「ストップ映画泥棒」のCMを見たことがなかった。
高校位の時、ストップ映画泥棒のモノマネをする人がテレビにちょくちょく出演していたが、本物を見たことがなかったのでよく分からなかった。

大学生になって神奈川の辻堂で映画を見た時、初めてストップ映画泥棒をみてちょっと感動した。下手したら映画本編より感動したかもしれない。

実写映画は、ワーナー・マイカルに行かないと見れなかったが、クレヨンしんちゃんやポケモン、ゴジラなど一部のアニメと特撮映画は別の方法で見ることができた。

村の公会堂で行われる映画上映会だ。

小学生の頃の僕は、アニメ映画をちゃんとした映画館ではなく、公会堂で見ることが多かった。

上映会が行われる数週間前、小学校の集団登校の通学路にビラを配るおじさんが立っていて、そこで映画上映の情報を仕入れる。(このおじさん、地元有志の方なんだろうけど、未だに誰だか僕は知らない)

ビラを手にした小学生達はそのまま登校、クラスで友達と「この映画見に行く?!」みたいな話で盛り上がる。

そのまま家に帰って親と交渉。上映会は基本的に夜行われていたのと、家から徒歩で行ける距離ではなかったので、車で送迎してもらっていた。

村の公会堂にはホールがなかったので、職員の方がプロジェクターを設置した後、子供達が座るためのゴザをしいて無理矢理映画館にしていた。

初めて公会堂で見た映画はクレヨンしんちゃんの「嵐を呼ぶジャングル」だったと思う。そこから、クレしん映画は「オトナ帝国の逆襲」「アッパレ!戦国大合戦」と3年連続公会堂で見ることになる。戦国大合戦では初めて映画を見て泣いた。

公会堂映画の何がいいかというと、下がゴザなので、姿勢が楽ということ。そして何より、機材を操作する人と、落ち着きがない子の親がいる位で、ほぼ大人のいない環境で映画を見れるというのが子供ながらに滅茶苦茶わくわくした。

公会堂で上演する映画は子供向け映画オンリーだったので、小学校高学年になると、流石に公会堂映画を見に行く機会は減った。

最後に見に行った公会堂映画はポケモンの「裂空の訪問者デオキシス」だった。この時は公会堂の体育館の予約が先に入っていたからか、上映会は広めの和室で行われた。

ふと周りを見ると、同級生は僕の苦手なヤツしか来ておらず、他はみんな小学校低学年の子ばかりだった。

和室で躍動するデオキシスを見て、僕は公会堂映画を卒業した。

※映画自体はとても楽しかったです!念の為。

中学生に入ると、上演会情報のビラが手に入らなくなったのと、部活が忙しかったので公会堂映画には行かなくなった。

今年地元を離れて丁度10年経つけど。今でも公会堂映画やってんのかな。

大人になった今、「和室にスクリーン持ち込んで映画見る会」とかやったらめっちゃ楽しそうだよなとは思うんだけど、まず機材が無いからな。スクリーンとプロジェクター持ってる誰か企画してくれないかな。ホントに。

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