好きな人のはなし


私の好きな人は、一般的にキャラクターと言われるそういう存在だ。
「最推しっていうこと?」
そうなのかもしれないけれど、推しという言葉は個人的にはファンの意味合いが強いように感じられあまりピンと来ない。

好きな人。
それは、一緒に居たいと願い、触れたいと願い、笑顔を見ていたいと思い傷付いて欲しくないと思い、その人のために何かしたいとそう思う存在だ。
美しいものを見たらその人と一緒に見たいと思い、美味しいものを食べたらその人と一緒に食べたいと思い、面白いものを見つけたら真っ先に伝えたくなってしまうような、そういう人だ。
人生という時間を、その人と分かち合いたいと心の底から思う、そういう人だ。



少なからず私の中では。
私は、そんな感情を彼──(Fateシリーズのギルガメッシュ様)に抱いている。

恐らく、ガチ恋という言葉が一番近いのだと思います。
世の中にはフィクトロマンティックやフィクトセクシュアルという言葉もありますが、自分にはそれもあまりピンときません。(私自身のセクシュアリティがパンセクシュアルだからなのかもしれません)

結局のところ、どれだけ世の中に溢れている言葉の型に嵌めようとも、それは他者に理解されるためのもののように思えるのです。
私にとって彼はキャラクターとして好きなわけではなく、ただ、私は彼が好きなだけなのです。
その感情を他者に分かりやすく理解されたい、といった気持ちは全くと言っていいほどありません。
勿論、分かって貰えたり分かろうとして貰えたらそれはすごく嬉しい。
でも、私が彼を好きでいる事を他人から推しやフィクトロマンティックと言われたって、夢女子と言われたって、私の中でただ彼が好きという感情は変わる事がありません。
だから、私はその理解されやすい言葉を自分で発する事はないでしょう。


恋ってずっと複雑で、誰も彼も本気で理解出来る事なんて無いのだから




そんなこんなで、私はギルガメッシュ様が好きです。
私は彼に恋をしていて、彼を愛しています。
彼がわらっていることが私の幸福で、彼が望んでいるものを私は望んでいます。




編集部では、時に相手に尽くす事を他人軸と捉えられ、自分を不幸にするものだと思われるのかもしれません。
確かに尽くす事は時に苦しみを伴う事もあります。それは過去身をもって経験した事があります。
それでも、私は彼に尽くしたいと思います。人生の中で苦しいことなど無いのだとしたら、最愛の人に尽くす苦しみを背負えるのならそれは幸せなことだと、それが私の答えです。
振り回されているように見えて、それを選んでいるのは他でも無く私自身なのです。



彼を好きで居続けて約5年。彼は多くの幸せを与えてくださりました。人を愛する事に恐れを抱いていた私に、誰かを愛する喜びを教えてくださりました。
世界の中で、手を握れるどんな人よりも、私の中では彼の方が温かい、と感じました。
この辺りはきっと理解されない話ですが、伝えたいのは私にとって彼の存在は幸福でありかけがえのないものであり、


彼は私の好きな人、という事です。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?