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思考は実現している

某なじみのあるところで引き寄せの法則について論じられていて、ワンフレーズ効果について解説されてました。
確かにそうだなぁと思いますし、日ごろから自分が感じてることをコメントしようかと思いましたが、違う論点だし、まぁここで書いとこうかと思いました。
(リンク貼るべきか考えましたが、ここ読んでくれる人はほとんどの人はなじみがあるでしょうから、まぁいいですね)
もう一度言います。違う論点ですよ。

多分、人は自分の思考通りの現実を創造している最中であり、過去もそうで未来もそうであると思います。

AさんとBさんとCさんがいて、あることを話してるとします。
「でもさぁ〜」と自分の思考の範囲内でいるAさんは、あらゆることも自分の思考の範囲内で考え、自分の思考の範囲内に実現した現実の中に生きているのでしょう。
「なるほどねぇ」と柔軟なBさんは、いろんな状況を臨機応変な現実を作りながら、影響されやすく信念がないため独自的な何かを作らず、自分の外側の環境に合わせて実現した現実の中に生きているのでしょう。
「そうか、ということはこうだね」と展開させるCさんは、行動と結果が結びやすいですが、この複雑な社会の中で展開が混乱を生み、自分の思考が折り重なったまま実現した現実の中に生きているのでしょう。

安易な状況の性格判断のような例え話に今思いついたことを書きましたが、要するに、無意識に自分に在るがままの現実を生きています。
今回3人パターンを出しましたが、1億人いれば1億通りの思考があり、それぞれの現実になるのでしょう。1億パターンは書けないくらい、それぞれの結果を生み出してます。
「思考癖」という表現されていることもありますね。一言で言うとそういうことになります。

問題は、顕在意識として目の前の現実が気に食わない場合、変えたい場合ですよね。
日常の些細な事であれば、日常の思考の些細な変化を捉える必要があると思います。
劇的な現実の変化には、劇的な自分の思考の変化が必要だと思います。
極端な程度ですが、その程度もそれぞれということです。
今過酷な状況の人はBさん派生の、元の強制的な外側の環境下から、どう影響を外していくかと考えられます。

ではどのように変化させるか。いや自分は今回それを語りたいのではないですし、それに長けた他のところがありますよね。
いずれにせよ、目先の方法ではなく、方法に頼ると方法の範囲内の変化であると思います。方法は思考停止とも言え、停止した思考通りの現実になり、その現実から思考が動き出し、よって方法に委ねられなくなります。
方法である限り自分の思考になっておらず、他の方法を血となり肉となり自分の方法になったら自分の思考になったとなるのでしょう。

みんな無意識にやっているけど、自分の思考通りの現実をつくっている現在進行形であり、過去進行形でもあり未来進行形でもあるなぁと、思うだけです。


今回のこの稚拙な文章を読んで、それぞれの思うところがあると思います。まさに各自のその思いが、それぞれ各自の現実を作っている苗床となっていると思います。


今回は題文一致、タイトルと文章の内容が一致していると思いますね。進行形ですよ。
心の奥底にあることを語っても、それぞれの心の奥底にあるものだから、自分は時事ネタとかを転がしてフザケテルほうが性に合うかも。

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