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ボク的虚無主義についての戯言

閲覧ありがとうございます。
今はお暇ですか?ぜひぜひ真摯に向き合わず片手間に読んで頂けたら幸いです。その方がボクも書きやすいですし。はい。

さてさて、皆さんは虚無主義、いわゆるニヒリズムというものを知ってますか?
「虚無」と聞くと真っ暗で怖いイメージがありますよね。何もない空間が広がっていてそこに自分がポツリ。右を見ても左を見ても地平線しか見えず、果ては自分もこの景色の一部ではないかと錯覚するほど。(もしかしたら本当はそうなのかもしれませんが)


このイメージ、まさにその通りです。
元は哲学の用語。哲学とはどうすれば生きやすくなるのかを色々な主義主張から追う勉強。山を登るのにジグザグ歩く方が楽か、真っ直ぐ歩く方が楽か、みたいな感じです。


虚無主義(ニヒリズム)とは人生には意味がないという考え方。


皆さんは誰かを愛したことがありますか?
恋人はいますか?大切な家族や友達は?
好きな事はありますか?どうしても譲れない誇りはお持ちですか?生きがいは?生きる事に意味はありますか?


お答えしましょう。


ボクにはどーでもいいことです。


いや、待ってください、このままでは語弊だらけだ。細かくいうと「最終的には」どーでもいいんです。

だって恋してる時は楽しいし、友達とお酒を飲んで話す時間はあっという間。両親から学ぶ事はいっぱいあり、その分お返ししなきゃと思う。絵を描くのも楽しい。特筆するような誇りや生きがいはないけど自分が何者かくらいは自分で探したい。


とは、思うんです。ちゃんと思うんですよ。
前向きな感情もしっかり持ち合わせています。
でもふとした時に気付いてしまうんです。


死んだら何の意味もないって。

何も残らないのなら、何もする必要ないのでは?

何もする必要がないなら、生きる意味さえないのでは?


ホント阿保な事だと思います。えぇ。死ぬまで数十年もあるのに、こんな結論を見出してる。
人生損です。大損です。生きてて楽しくない考え方です。極論です。とってもダサいです。理解してくれなんて言いません。ひっそり心に仕舞い込んでおきたい思想です。でも。でも。


どーしてもそう思ってしまうんです。

これが消極的ニヒリズム。
自他の存在含め全てに価値がないと主張する。


「消極的」ニヒリズムがあるなら
「積極的」ニヒリズムもあるんじゃないの?


と疑問を持った方、さすがですね。
その通り、ちゃんとございます。ニヒリズムの逃げ道が。


「価値がない」のなら作ってしまえばいいのでは??自分で「価値のあるもの」を作ればいいのでは??というのが積極的ニヒリズム。

立場は違えどニヒリズムには変わらないのに
随分とお気楽な考え方ですね。
まぁ思考を放棄した消極的ニヒリストにも言えることですが。


まぁまぁそんな感じです。ボクの脳みその一部分で大部分。
考え方を変えるのは容易なことではありません。頭がかたい大人になればなるほどね。


皆さんはくれぐれも気をつけてください。


自分と相容れない存在を頭ごなしに否定する大人に。

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