見出し画像

上司と部下の仕事の役割から考える仕事の進め方

昔、会社に勤めていた頃、関連部署の管理職の方に、「部下の仕事は上司が物事を判断するための情報を集めること、上司の仕事はその情報に基づいて判断すること」と言われた。その心はというと、以下の通り。

当時私は、研究開発の下っ端であり、データを取って、それを分析することが仕事だった。上司はそれを見て、プロジェクトの進捗を判断をする。例えば、データがよければ次の工程に進み、悪ければ、原因を究明して改善点を検討する。しかし、スケジュールがタイトなときなど、場合によっては、データが悪くても、何らかの条件をつけた上で、次の工程に進むこともある。しかし、それで失敗すれば、上司はどこかに行ってしまうかもしれない。上司の判断は責任が伴うため重い。だから上司の給料は高いのだと。

もちろん、部下の仕事の精度が上がるように、上司は重要ポイントを指導をしながら、データを取らせたり、報告書における判断の根拠や判断の論理が甘いと、指導が入る。しかし、報告書のできはともかく、データは変えようがないので、プロジェクトが失敗しても、基本的に部下が責任を問われることはない。

当時は、ふーんと、聞いていたが、今になって考えると、なかなか深い。その方からは色々な教えを受けたが、数十年前のことにもかかわらず、これが最も記憶に残っている。

要するに、部下は、上司が判断しやすい情報を提供しなければならないということである。判断しやすくするためには、客観性が高い情報が必要であり、その情報に基づき論理的な考察によって部下としての一次的な結論を出す。ここまでできれば、最終的な判断は上司にお任せである。

これを特許事務所の仕事の1つである「鑑定」に当てはめてみる。鑑定とは、例えば、ある製品がある特許に抵触していないかという属否の鑑定や、請求項に係る発明の特許性の鑑定がある。依頼された我々は、精度の高いものに仕上げるため、結論を導くための判断材料を徹底的に調べる。判断材料は当然に客観性の高いものでなければならないため、法律、ガイドライン、裁判例など多岐に亘る。最終的な判断は依頼者に委ねられるが、鑑定書の結論の根拠に客観性のない持論が多く入ると、「それって、あなたの感想ですよね」ということになり、鑑定書の信憑性が低くなる。また、客観性のある根拠が挙げられていたとしても、結論までの道筋が論理的ではない場合でも、鑑定書の信憑性が低くなる。

つまり、鑑定とは、当方の結論ではあるものの、根底には、依頼者が判断しやすい材料を提供することにあると思っている。これは、恣意的な判断をしてもらうということではなく、当方の結論ができるかぎり客観的な事実や証拠に基づいて論理的に示されていれば、それを見た第三者も同様の結論が導かれるであろうと思われるため、そのような材料を提供するということである。

もちろん、異なる結論がなされることはあるが、依頼を受けた以上、こちらの結論が受け入れられるのは、非常に嬉しい。そのため、これ以上ない根拠と論理で結論を出し、それ以外の結論が出る余地がないほどの書面を作るように練り上げるのである。

結論として、仕事は、自身の好きなように進めるのではなく、受け取った人がどのように考えるかを考慮した上で、できる限り客観的な根拠に基づいて論理的に進めるというのが重要ではないでしょうか、という話。

(おしまい)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?