小説などの文章では、流れを重視し、読み手がスムーズに読むことができるように、単文ではなく、重文や複文を多用していることが多いように思える。例えば、大江健三郎の「見る前に跳べ」の冒頭には次のような文がある。102文字の文であるが、文庫本であれば、4行に亘る文である。
この本の文章には接続詞も結構使われている。例えば、以下の文章のように、「そして」と言う文言が多用され、この本では約250カ所で使われている。「また」と言う文言も100カ所程度使われている。
これに対して、特許明細書の文書は、基本的には技術内容を明確に示すことができれば足り、読み手がスムーズに読めるかという観点は必要ないはずである。これを徹底するには、重文や複文による文章の複雑さを排除するために単文のみで構成すればよく、接続詞も特には必要ないはずである。
しかし、特許明細書の文章の構成自体には特に制限がないため、単文を多用する人と、重文や複文を多用する人がいる。
前者は、一文に含まれる内容を他の文に影響されることなく、疑義なく確実に伝えたいと考える人だと思う。これを仮に「疑義なく単文派」と名付ける。
特許明細書は,単に第三者に内容を伝えるだけでなく、特許庁や裁判所で内容が審査されるという特殊な文章であるため、書いていることを疑義なく伝えることが最も重要である。そのため、「疑義なく単文派」の考えはもっともである。
これに対し、後者は、特許明細書といえども文章である限りは、ある程度の流れが必要であり、疑義が生じない限りは、重文や複文を多用して文章に流れを作りたいという人たちだと思う。これを仮に「流れも重視長文派」と名付ける。
個人的には、どちらが正しいというものではなく、例えば、表千家と裏千家、極真空手と正道空手のような流派の問題だと思う。ちなみに、私は「流れも重視長文派」に属する。
一応、データを見ておこう。
例えば、過去10年の公開特許公報を調べると、詳細な説明の中で「そして」という文言を使っているのは、2,209,838件中1,468,44件であり、全体の約65%であった。広辞苑によると、「そして」という文言は、「そうして。その上に。」と言う意味である。特許明細書が技術内容を疑義なく伝えるとの役割を有するとすれば、ほとんどの場合「そして」と言う文言は不要であると考えられる。そのため、これを使っている文章の作成者は、「流れも重視長文派」に属するのではなかろうか。このデータからすると、特許明細書といえども流れを重視して文章を作成する人が結構いるかもしれない。
但し、だからといって流れも重視長文派を肯定しているわけではなく、「流れも重視長文派」といえども、文章に疑義が生じるのであれば、それは、「流れも重視長文派」の風上にもおけない。疑義のある文章を書こうものなら、「だから、流れも重視長文派の奴らは文章をわかっていない、、、、」なんて「疑義なく単文派」からのかっこうの標的になるであろう。
なので、「流れも重視長文派」を名乗るのであれば、文章に疑義が生じないようにするのは最低限のエチケットであるとも言えるだろう。
では、英語ネイティブが書く英文明細書はどうであろうか。
ここでお断りしておくが、私は帰国子女ではなく、英語ではかなり苦労した部類の人間であるので、その程度の英語に不自由な人間の思い込みも含めた意見であると見ていただきたい。
まずは、英語の小説から見ていこう。
以下は、小説 Jurassic Park の冒頭の文章である。
長い文章ではないが、重文で構成されている。
また、例えば、以下のように"and then"のような接続詞もかなり多用されている(159カ所)。
このように、英文の小説でも、日本語の小説と同様に、一文は短くなく接続詞も多用されているようだ。
では、英文明細書はどうであろうか。
英文明細書は合理的に単文で構成されていると思いきや、多数の英文明細書を見ると、単文は極めて少なく、重文や複文で文章が構成され、接続詞も結構使われている。
英文明細書でよく見かける接続詞(または接続詞的な句)としては、例えば、以下のものがある。
(Google Patents Advanced Searchでの検索結果(特許庁:USPTO, 言語:English)と訳も併せて記載している。)
Furthermore さらに 15,652件
Moreover さらに 15,932件
Additionally さらに 135,828件
Thus したがって 15,113件
Therefore したがって 15,631件
Note that なお 18,584件
in particluar 特に 15,631件
in the meantime ところで 11,557件
個別に見ていくと、以下の通り。
(1) Furthermore
AppleのUS2022/0342443では、"Furthermore"という単語が13回用いられている。以下に一例を挙げる。
(2) Note that
AppleのUS2022/0346177では、以下のように、冒頭にNote thatを用いるパターンと、文中の注釈(括弧書き)として用いるパターンが記載されている。
(3) Therefore
AmazonのUS2022/0345358では、冒頭にThereforeが用いられるパターンが14回あった。例えば、以下のような記載。
また、AmazonのUS2022/0342693では、書き手の癖かもしれないが、冒頭にthereforeが用いられるパターンはなく、代わりに文中にthereforeを用いるパターンが4回あった。例えば、以下のような記載。
一文の長さについては、どうであろうか。
上記のAppleのUS2022/0342443では、次のような重文複文が入り混じったワード数81の文があった。
メカ系の公報も見てみよう。以下は、FordのUS9802521から引用した。
この文は、全体構成の説明なので長くなりがちではあるが、以下のような重文複文入り混じった文もある。
個人的にはこれまで多数の公報を見てきたが、どちらかというと、英文明細書の書き手は、流れも重視長文派が多数を占めるような気がする。
以上、日本語と英語の文章の長さや接続詞の使用について、個人的な考察を述べた。
これは、全く個人的な見解であるが、昨今は、翻訳を重視した日本語明細書では、できるだけ単文を用い、接続詞は極力用いないことが推奨されているが、英語ネイティブの書く英文明細書は、そうはなっていないことが多いと思われる。そのため、特許明細書として、事実を疑義なく確実に伝えるため単文を用いることは重要ではあるものの、読み手は英語ネイティブであることからすると、英語ネイティブが見慣れた文章に寄せるバランスも必要であると思われる。