ブルートレイン北斗星の夜

札幌で、生まれて、幼稚園のころ仙台に引っ越し、小学校の途中で函館に引っ越して、中学生の途中で金沢に引っ越した。大学は東京だった。

東京で成人を迎えることになったのだが、はて成人式、どこへ行くのが正解だろうか。中学高校と過ごした金沢の成人式へ行くべきか、比較的楽しく過ごせた函館の成人式に参加すべきか。

結局、函館の成人式へ参加することに決めた。親にその旨伝えると、昔から憧れだったブルートレイン北斗星の往復チケットをプレゼントしてもらった。小さいころ、よく「ブルートレインほくとせい」という絵本を父に読んでもらっていた。特別電車好きに育ったわけではなかったが、当時はまだ現役車両が今より比較的あって、中でも寝台車は好きだった。思えば大学受験で金沢から東京へ来るときにも、寝台車を利用した。名前は、ほくりく、だったかな。

ブルートレイン北斗星には、グランシャリオという食堂車がある。絵本に出てきた華やかな夕食や朝食は子どもの頃から憧れだった。

しかし、いざ夕食の時間に覗いてみると、学生の身には高すぎる。聞くと、ディナータイムの後に、ビールやつまみなどが楽しめるバータイムがあるという。

自分は、ビールを一杯だけ頼むことにした。

席は4人掛けになっているが、バータイムはそれはそれで人気らしく、相席になるという。自分は、三人のおじさんと相席となった。それぞれは顔見知りではないみたい。

会話もなく、ひとりまたひとりと席を経ち、最後に私と50代くらいの恰幅の良いおじさん二人。

何気なく、どちらまで行かれるんですか、と話しかけてみた。おじさんは稚内とその先の島を結ぶエンジンを修理しに行くとのことだった。今思うと、会社の出張に寝台車を使うなんてなんと贅沢なことか。

おじさんと何を話したのかはあまり覚えていないが、とにかく自分の仕事に誇りを持っている方といった感じで、あの列車のエンジンは私が設計した〜あの船のエンジンは〜など、まだ成人したばかりの若造に熱を持って語ってくれたのをなんとなく覚えている。

私はまだ大学生になったばかり、浪人したので大学1年生の冬だった。そのことを伝えると、
「大学では勉強に限らず、自分が好きなことを徹底的にやると良いよ。」
と言われたのが、妙に心に残っている。

生意気にも連絡先なんて交換するのは無粋だと思っていて、結局連絡先はおろか、名前もお互い聞かなかった。成人式でどんなことがあったのかはほとんど覚えていないのに、今でもなんとなくあの時の不思議な時間を覚えている。

最後におじさんは、こう言い残して席を立った。

「函館に着いたら、この列車は向きを変える。そこから引っ張る電車のエンジンは、私が設計したんだよ」



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