ボルドーの活版博物館からお宝連絡がきた

朝メールボックスを開けたら、フランスはボルドーのベルナールさんからメールが来ている。 「博物館の後始末もやっと終わったよ。 倉庫の奥からこんなものが出てきたから、いるなら会えるまでとっとくよ。」っというメッセージと一緒に、数ページにわたるカタログが添付されていた。大きな印刷機はむりだけど、中にはちょっと気になる活字整理用の棚もある。 


ボルドーのベルナールさんとの出会いは、ロンドンから届いた1本のメールからだった。

それは今年1月のある日、どこをどう回ってなのかはわからないけれど、突然ロンドンのレタープレススタジオから 
「世界中のレタープレススタジオの皆さん。ボルドーの活版印刷博物館閉鎖にともない、いろいろなレタープレス関連のものが放出されます。ご興味ある方は直接博物館にご連絡を!」っという一斉メールが私のもとに転送されたきた。
その時ちょうどパリにいた私は、急いで転送されてきたメールにあったメールアドレスに連絡をとった。なにが売りにでているかは全くわからないけれど、このチャンスをみすみす見逃すことはできない。
すると、すぐに返信があった。
「興味があるなら、すぐにおいで。明日の午前中なら博物館にいます。ベルナール」

実は3日後には日本に帰国予定だったのだけれど、明日なにか特別な予定が入っているわけじゃない。それじゃあ、っと私は翌日ボルドーに向かった。ボルドーとパリはTGV(フランス高速鉄道)でたかだか2時間程度の距離だしね。 

実はそれまで私もしらなかったのだが、フランスのボルドーにはボルドー印刷博物館(Musée de l'Imprimerie de Bordeaux)という私設の博物館がある、いやあった。 
1970年代にボルドーにあった活版印刷所が徐々に閉鎖されていって、そこで使われていた印刷機や印刷で使う文字やツールが破棄されていくのを憂いた7人のフランス人が、1979年にボルドー近郊のあちらこちらの活版印刷所から救い出した印刷機や活字を集めて開いたのがボルドー印刷博物館の始まりだそうだ。

ちょうどボルドーの美術大学のすぐそばという立地もあり、美大の学生や地元の子供たちだけでなく、広くフランス全土から参加者をつのって、積極的に活版印刷のワークショップやアートイベントを行ってきた。

ところが、2023年に突然、美術大学から学部拡張に伴い立退を言いわたされてしまった。ボルドー市にも掛け合ったけれど代替え場所の提案もなく、とうとう2024年に博物館は閉鎖することになった。 
そういった歴史は、あとでベルナールさんから聞いたんだけど。

たどりついたボルドー活版印刷博物館、通称AMHITEM(Les AMis de HIstoire des TEchniques de l'IMprimerie)は、それは大きくて古い倉庫だった。

AMHITEM 入口

そして、中には、所狭しと活版印刷機械がずらりと並んでいた。

AMHITEM内部
閉鎖にあたっては、パリにほど近いところにある印刷博物館(AMI)多くの機械やツールを引き受けてくれることになってよかった。っとベルナールさんは話してくれた。


「よく来たね。たいていのものはもう行き先がきまっていて、あやに売ることはできないけど、まだ多少はのこってるから欲しいものがあったら声かけてね。いやーしかし日本人が買いにくるとはね。 驚いたよ。」パリから突然やってきた、身も知らずの東洋人である私にもとてもフレンドリーなのは、古い活版印刷に魅力を感じている者同士だからかな。
それから3時間あまり。ベルナールさんはじめ博物館のおじさんたちが総出で、私が興味をもちそうなものを、広い博物館のあちこちから集めてきてくれた。 木やメタルの活字はもちろん、ボルドーの名所のイラストの版や、古いポスターなどなど。 ほこりまみれでくしゃみが出っ放しだったけれど、なんとも楽しい宝探しの時間だった。

記念写真
パリに持ち帰った戦利品


結局、スーツケース2つにびっしり詰まるくらいのお宝活版活字+ツールを格安で購入したのだった。

あの時欲しかった、活字整理棚がまだ残ってるみたいだから、ベルナールさんに「取っといてね! 6月にまた取りに伺います!」っと、さっそく返事を書いた。

後日談。3月にベルナールさんからメールで送られてきた地方新聞の記事には、ボルドーの印刷博物館の閉鎖の記事とともに「閉鎖にあたっては”日いづる国”からも、レタープレスツールを買いに来た。」っと書かれていた。

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