どうぞ,こちらへ

コンコン と音が聞こえる
「こんにちは,お客様。」
日が沈みかけて 空を染め上げる
   の色になる


梅雨が明け 夏が始まる
少し蒸し暑い 晴れた日のこと

家を出て それぞれの道を行く
離れることが寂しくて とぼとぼ歩く
今日も一日 頑張ろうか

帰り道 ほんの少しのご褒美を
うきうき気分のまま 帰りましょう
ゆっくり 過ごしましょう
そうしましょう


 コンコン
窓からのお客様 どちら様?
「こんにちは,お客様」
カーテン越しで どなたかわからないけども
カーテンに影は 伸びていないけども
返事をしてみた

「あなた様をご招待いたします」

和太鼓の音に 包まれて
薄暗い細道へと 連れられた
夕焼けに染まった 木漏れ日が
近くへおいでと 手招いている

木漏れ日は 和太鼓の音
横笛 銅鑼に 鈴の音 を含んでいる
誰かが歩いている
砂が踏みつぶされていく 音が響く

淡い橙色の提灯が 揺れている
影が伸びて 列をなす
面を着けて 歩いている
誰も彼も 一方を向いている

「どうぞ,こちらへ」
一方の先へ 足が向かう
胸が高鳴り 呼吸を忘れてしまう
私を呼んだ 誰かに会えるから

呼ばれた先には 古びた社が
誰も居らず 綿帽子だけが落ちていた
砂を引きずった音が 響いていた
提灯の灯りで 影が伸びていく

 コンコン
誰も居ないはずなのに 確かにそこにいた
また 私を呼んでいる
静けさの中に 弾んだ雫たちの音がする
おかえりなさい と言っているかのように

埃のかぶった鏡台 覗き込む
湿気を含んだ 綿帽子を抱えて
「どうぞ,こちらへ」
視線の先には 並べられたお面たち
淡い橙色の提灯で 照らされている
中央の 空白を除いて

お隣さんは 黒い地に 赤い模様 金色の装飾 
輝きの中に 孤独があった
そっと触れたくなるような 寂しい表情をしていた
「どうぞ,こちらへ」
呼ばれた気がして 手を伸ばす

お面の代わりに この綿帽子を
これで 独りにはならないはずだから
 「こちらを,どうぞ」
お面の中に 綿帽子
少し俯き 陰で顔は隠れている

 コンコン
また 影が揺れている
「どうぞ,こちらへ」
鏡台の埃たち 橙色に染められて
こちらを見てよと 舞っている
こちらへ来てよと 誘っている

橙色の灯りに 連れられて
埃の舞に 連れられて
また 鏡台に覗き込む
視線の先には 綿帽子が
私を包んだ 綿帽子が

「どうぞ、こちらへ」

提灯に照らされて 染められた
真っ白な綿帽子が 橙色へと染められた

御狐様の色になる
「どうぞ、こちらへ」

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