ジェット氏レッツニューイヤーフェスに寄せて
初めてのみの石滝キャンプ場は今を遡ること干支2周くらい昔。私がブラックボトムブラスバンドにいて若くはつらつとしており、私だけではなくみんなも今より若くてはつらつとしており、温かくも厳しく見守るバンバンバザール諸兄の監督のもと、人里離れた大自然のなか秋口のひとときをおおいに楽しんだ記憶。
思えばベースに黒川さん、ウクレレに富永さん、ドラムに木村さん、そして私という初期のブルームーンカルテットは、こうした流れから生まれた、といっても良いのかもしれない。あの頃はいろんなイベントでさまざまな出会いがあったものだ。
ハチマさんとの出会いもそうした流れのなか、とくに私が印象に残っているのはフジロックで、非常に長いゴンドラにのってやっと辿り着く、アルプス(実際にハイジもいた)みたいな高度の高い広場で「これは本当にフジロックなのか?」とすこし酸欠気味で思っていると、見るからに怪しい男三人が、各々手にギター、ベースとバイオリンを携え、スーツ姿にハットに足元はゴム長、というまさにカントリージェントルマン、といった出立で「やあやあどうも!俺たちがあやしい三人組です!さあ野郎ども準備はいいか!」と衝撃的なステージングを繰り広げるのを見て、世の中にはやばい人がいる、と思ったものだ。
そしてレッツニューイヤーである。
初年度はブルームーンカルテットと、たしかそのときはChoro'n'POWも別日で参加させてもらったように記憶している。これはトランペットとトロンボーンとチューバ、そしてパンデイロでブラジルのショーロやオリジナルを、頭に「小籠帽」をかぶって演奏するバンドで、その頃チューバ松永氏の産まれたてほやほやの愛娘が生後何ヶ月かの若さで「野フェスデビュー」を果たしたことは記憶に新しいけど、あれはすでにコロナ前のことだ。
今年最後、ということになったレッツニューイヤーフェス。
ハチマさんが打ち出す、このフェスのキャッチフレーズ「いじわるのかけらもないフェス」だが、あれが、毎回なんだかどんどん心に沁みてくる。この世の中にそんな奇跡のような時間があり、それを待ち侘びて生きてる人がたくさんいて、少しでもそれに関われるということが、どれほど素敵なことか。
若い頃はさらりと流して、まるで当然のことのように享受していたことが、年齢を重ねるごとに、その有難さを知るのである。
ところで今年もジェットウォン単身の緊急来日である。
ジェット氏からのメッセージは以下。
「日本の皆様ニーハオ!ジェットウォンです。今年もみの石滝キャンプ場で愛する皆様にお会いできるのを楽しみにしてます!
バンガロー宿泊はいちおう希望はだしましたが、若干どうしようか迷ってます。」
ジェットウォンa.k.a.黄 啓傑
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