サリン事件と父のがん

6月18日Voicyでちきりんさんがニアミスとお話しされていたので、サリン事件(1995年3月20日)を思い出しました。

その日は父ががんの手術のために大学病院に入院した日でした。夫と入院に付き添いました。

男性にしか起こらないがんが見つかったのは偶然の組み合わせでした。

ある日、父の病院の看護師さんから『先生が採血の結果を気にしている、話を聞いてほしい』と連絡があり、父のデータを見せられました。
月ごとに採血しているようで、少しずつ悪くなっています。父に直接訪ねると言葉を濁しています。

勤務している病院の泌尿器科のA先生は某大学からの非常勤医師でしたので、相談したところ

「数値的にはそんなに心配しくても…」と答えたくれたA先生も、父の父(祖父)が同じがんにかかっていたことを話すと検査を進められ、精査することになりました。
細胞をとる検査は、女性にはない臓器ですが、痛いそうです。細胞診の結果は5か所採取したうち、一か所からがんが判明したとのこと。

入院して手術する運びになりました。

そして入院したのが、サリン事件の当日でした。午前中父に付き添っていった私は東名高速道路を使って、時間通りに着きました。
ところ、午後になり忘れ物を届けようとした弟は高速が渋滞して行きつけなかったのです。
まだ、大きな機械だった携帯電話を持っていった父から何回も電話がかかってきたことを覚えています。入院して一人になって、悲惨な事件のニュースを見ながら手術の準備をするのは死ぬ覚悟というものを考えたのかもしれません。

手術は順調に終わり、父は今年、米寿を迎えました。あの後、父のほうの身内を同じがんで亡くしました。父の友人も数人亡くなっています。

看護師さんの発見、観察、連絡 グッジョブ!

そして手術してくださった先生は別の大学病院の教授になられました。平均寿命までは保証すると言ってくださって、ありがとうございました。おかげさまでもっと長生きしていますよ。

がんは発見のタイミングで予後が変わります



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