風になったあの人
僕が正道会館東京支部に通っていた頃。
10代後半らしく忙しい毎日を送っていた。
当時、都内のデパートでフロア清掃のアルバイトをしていた。
広いデパートなので、事務所も僕たちの動きを十分に把握していなかった。
僕は練習で疲れていたので、裏で休憩することが多かった。
ある日、搬入スペースの階段に座っていると、三崎先輩(仮名)がやってきた。
「先輩、人妻に振られたって本当ですか?」
うわさの真偽を尋ねた。
『しょうがねぇだろ。結婚してんだからさ』
それ以上は失礼に当たる。
言葉を飲み込んで話題を変えた。
「八千代からどうやって来てるんですか?」
『…単車で』
僕は自動二輪の免許を取ったばかりで、バイクの話に興味をひかれた。
話は展開していった。
『KAWASAKIはいいよな。走りにライダーを入れてない。ニンジャは特にそう』
「先輩!NINJA乗ってたんスか?すげー」
『昔ね。今はVFRだけどな(笑)ダセーだろ』
「そんな事ないっスよ。いいなー」
三崎先輩の話はカッコ良かった。
数日後、同じ場所で落ち合った。
「左コーナーは出口が見えないから、ツッコミが甘くなるんスよね」
『江戸川くん。ブラインドは(アクセルを)開けるんだよ。ビビって閉じたら…飛ぶかもな』
僕はうっとりして聞いていた。
『俺も走りは見えねーんだ。ただ、アサヒナを越えて潮の香りがしたとき、俺は風になったんだ』
カッコいい!先輩もう最高!!
恥ずかしそうに笑った、三崎先輩のセリフが素敵だった。
僕は掃除をしながら、あちこちのフロアでこの話をした。
二週間後、着替えを終えて事務所を出る三崎先輩を見つけた。
「先輩、帰るんですか?VFR 見せて欲しいんですけど」
『急いでっから、また今度な』
はやる気持ちを抑えられず、制服のまま先輩の後を追った。
角を曲がったところで、バイクで走り去る三崎先輩の姿を見た。
ヤマハのジョグだった。
落ち込む僕に、寝具売り場のお兄さんが諭してくれた。
『原付きも単車じゃん、60キロ出るよ。三崎くんが風になったって言うなら、それでいいんじゃないの?』
そうだ、単車の話じゃなかった。
あの人は風になったんだ。
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