DOMMUNEと瞑想について

まずは日記のようなものから。

昨夜、海猫沢めろんさんと滝本竜彦さんのDOMMUNEの番組であるATLANTIS第9回目に出演。
めろんさんは関心を持ったものに対して丁寧に話を聞く方。インタビュアーではない。ご本人が求めているものがある感じが伝わってくる。

「ナンパと身体から生まれる視点」/『声をかける』著者・高石宏輔に、海猫沢めろんが聞く

上のインタビューでも『声をかける』を紹介していただいて、とてもお世話になっている。
滝本さんはエネルギーの放出がすごい。テーブルの下で話しながら印を結んでいた。指先までピンと張っていた。

番組中は滝本さんの瞑想理論の話が続く。今回はなんとなく聞き手にまわるスタイルに。他の人と話していてもそうだが、自分の中には特別に話したいとか、世の中に発信したいと思うことは見当たらない。何もないというわけではない。滝本さんのお話を聞きながら、ただそこに座って存在しているだけで満足している部分があるなと思った。

番組最後に滝本さんの瞑想の誘導が行われた。

呼吸に意識を向け、体の力を抜き、トランス状態に入った状態で、イメージをする。
周りに木々がある落ち着いた場所にいる自分。
そこから視点だけが幽体離脱のように上へと上がっていく。
そして、さっきの自分の周りにいる人々を見つけた。
それは自分が大切だと思っている人々だった。
周囲に光の粒がある空間へと導かれる。
光の粒を吸い込むごとに、自分の体に光が満たされていく。
満たされていくごとに、自分の中に充足感が生まれる。
周りの人を大切にしたいと思う。

多分ちょっと違う形式だったけど、思い出そうとして出て来たイメージは上のような感じ。

25歳に、カウンセラーの先生から催眠療法を初めて受けた。
カウンセリングの終わりにはいつもこんな感じの誘導があった。
誘導を初めて受けたその日、先生の出している誘導のCDをもらって、毎日そのCDを聞くようになった。

その先生に師事してからは、先生がセミナーで大勢の人を誘導するときの照明や音のセッティングをしながら誘導の仕方を学んでいた。大人数がこうした瞑想をしているときには空間が繊細に、神秘的になる。ある日、200人くらいの人を誘導しているとき、音と照明の調整をする部屋から顔を出したとき、そこには光の粒が舞っているように見えた。時間が止まっているようで、全てが許されているような感じもした。
先生は周りを見渡しながら、言葉をつないでいた。いつも全てアドリブだ。僕は先生からマイクと流れている曲の音の調整の指示を待っていた。あのとき、目を開いているのは二人だけだった。こんな空間を作り出せるようになりたい。そう思って五年ほど先生のもとにいた。

先生のもとを離れてからは、スカウトマンをしたり、ナンパ講習をしたりした。そうしているときにも、いつもあの光の溢れた空間を作り出したいという気持ちがあった。自分もその空間の中にいたい。あるいは、その中にいる人間だけがその誘導ができるのだという思いがあった。そういう意味で、催眠の誘導や瞑想には深い思い入れがある。

武術や身体訓練を始めてからはその瞑想を捨てた。今は瞑想をすることはないし、イメージの誘導を自分にすることもない。
体に意識を向け始めると、なんと自分は不完全な存在なのかということを感じざるを得なかった。動きにたくさんの隙間がある。瞑想をしているときは自分は完全な存在なのだと思えてしまう。でも、実際は違う。それは頭で思い込めたに過ぎないのだと僕は思った。それからはずっと動きの訓練をするようになった。

でも、久しぶりにした瞑想は心地好かったし、何よりも、自分が忘れ始めていたことを思い出すきっかけになった。瞑想の誘導をしてくれた滝本さんに感謝している。

ちょうどこの間、ロルフィングのエド・モーピン博士の瞑想のセミナーも受けた。
彼はボディワーカーではあるが、そういったことの探求の始まりは瞑想の本を読んだことだったと言っていた。街中で瞑想の本を読んでいるとき、「今のあなたはどんな感じか?」という一文を目にしたとき、道で立ち止まって動けなくなったと語っていた。彼の、その感覚を探求する中でボディワークに出会ったという話に、僕は共感を覚えた。

書き始めると結構書くことが浮かんできたけど、今回はこの辺りで。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?