love once upon a time㉔

アルバニア人の親友 Rei の亡くなったパパを思い出した。
オリーブを思わせる真っ白じゃない肌の色の人で、背が高くて、目がクリっとしていて、Reiによく似ている。ニコニコしていて、Reiが大好き、Reiも大好き。
彼女はマレーシアで出会ったスイス人の男性と結婚してスイスに引っ越し、初めて彼女をスイスに訪ねたのは2000年過ぎていたと思う。スイスで数日過ごした後2人でブタペスト経由でアルバニアに飛んだ🛫当時はまだ2人ともこどもがいなかった。わたしは独身。ブタペストの空港はザ・ヨーロッパのスイスの空港とは雰囲気が全然ちがって、少し暗くて、室内でタバコを吸っている人がいっぱいいて、「お~東ヨーロッパ!」と感じた。
アルバニアは首都のTiranaに着き、Reiの hometown、Durresに行った。海辺の美しい町。夕方Reiのパパとママと海辺を散歩したり、ちょっとワインを飲んだり、Reiのおうちでごはんをご馳走になった。ママは当時のわたしはちょっとアンデスっぽいお顔、と感じたけどあの辺りのちがう地域の出身なのかもしれない。ママは厳しいと聞いていたのでおうちでごはんをいただくときドキドキしたけど後にママはReiに「Akikoは全然音を立てないで食事してたね」とコメントしたと聞いた。テーブルマナーを教えてくれた母に感謝。Reiのお兄ちゃんにも会ったな。そこから多分バスを教えてもらって元彼のご両親を訪ねてShkodorに行った。飛行機だったのかな?彼の弟はアルバニアにずっといて、弟が迎えに来てくれた。実家は古いステンドグラスや建具がかわいい、お庭のある、猫がいるおうちだった。あの猫はあの家の猫だったのか、、。
ご両親にはこれも別れた後だったけど彼の卒業式でマレーシアで会ったことがあった。別れた後もそういう親しい交流が続いていた。ママは豪華な食事を用意して待っていてくれた。彼が一時帰国してマレーシアに戻ってくるとママ手作りのBaklavaを持ち帰ることがあった。とってもおいしい。その後お店で買ったのも食べたけど彼のママがつくるのが一番おいしかった。お食事は確かGleek saladとか、牛の脳みそとか、スープとか、デザートとかだった。ちょっと狂牛病が怖かったけどせっかくつくってくれたので全部おいしくいただいた。わたしたちに共通言語はなかった。ママはアルバニア語とイタリア語、パパはアルバニア語とロシア語、わたしは日本語、英語、マレー語。パパは英語の辞書を持ってきてくれて、すごく和やかに、楽しくおしゃべりした。食事のあとはパパとBackgammonをして3時間くらいいっしょに過ごした。彼からもそれは伝わるのだけど、彼のご両親はとても暖かい人たちで、今思い返すと本当にあたたかい precious、何事にも代えがたい時間だった。
そのあと弟が首都Tiranaにいっしょに行ってくれて、ケーブルカーに乗って高いところへ行ってTiranaの街を見下ろした。アルバニアは共産主義だった時代が長く、1990年代後半に確か軍がクーデターを起こして一時無政府状態になった。そのとき2人は既にマレーシアの大学で勉強していて、国費留学生だったからこれからどうなる?と不安な時期があったけど、マレーシアのDatukの称号をもらってた来馬当初から面倒をみてくれていた方が学費を出してくれてその後も無事勉強を続けられた。その後は民主主義の国になったと思う。わたしが訪れた2000年初めはこれから発展しよう!という空気に包まれていて、色んなところで土地が買われていたときだった。高台から見下ろす街はむかしは共産党のシンボルである☆の形をしていたそうだけどそのときで形はだいぶ面影がなかった。Tiranaの街で弟とレストランでごはんを食べて、バス停まで送ってもらいDurresに帰った。前にも書いたと思うけどこのバスを待っている時に少女が話しかけてきて、この子はアルバニア語しか話さず、本当びっくりするくらいコミュニケーションがとれなかった。彼女はグリーングレーの目をしていて、その目に吸い込まれそうだったのを覚えている。

こうやって書いていると、人生はもう亡くなってしまった人たちや、まだつながりのある人たちや、色んなキラキラした関りでできているんだなと実感する。

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