love once upon a time⑰

縫い物をしていて思い出した

Beyond 黄家駒

調べたら彼が日本で亡くなって今年で30年だった。

わたしも1993年当時はニュースを観たような氣はするけど全然知らなくて、2004年にマレーシアの日系の工場で現地採用されてそこでマレーシア人の中国系の人と付き合った、というか二股だけど。その人に教えてもらった。彼は黄家駒のファンで、生きて日本から帰らなかったことを衝撃的なこととして覚えていた。マレーシアや他のアジアの国々でも人気だったそう。カラオケに行くと唄ってたり、彼の車でCDを聴いたりしてわたしも聴くようになった。当時で亡くなって20年経っていたけど、マレーシアにはまだまだファンがいたのだろう、CDも売ってた。広東語いい。彼の声もいい。

付き合った彼は島出身の人で、1990年代日系工場やアメリカの工場はマレーシア人の労働者を求め「うちで働いたらNikeのスニーカーをあげます」みたいに人を集めていたそう。若い彼らはそうやって集まり、日本人に機械のことなど技術を学び、わたしが入社した当時課長さんだった彼らはマレーシアでは珍しいと思うけど10年以上この工場で働いていた。
勤め始めてすぐにごはんとか行って付き合い始めたけど、「彼女とうまくいってなくて別れるつもり」みたいな感じだった。そこから2年彼女とは別れず。二股な割りには彼の妹とも両親ともよく会っていた。広東語で話してたから何て言ってたかはよく分からないけど。島の実家にも行った。その島にはvacationでも行ったことがあったけど、ホテルに泊まって海に行くのと彼について町に入って実家に泊まるのでは全然ちがっておもしろかった。好きな感じの人だったから信頼して付き合えたらよかったなぁと思うけどあれはああいうタイミングだったんだな。
わたしは父親の浮気やらそれで家の中がぐちゃぐちゃ、というのを経験していたから「わたしと浮気してるこの人と結婚したら絶対に幸せにならない」と思い込んでいてプロポーズされたけど受けなかった。この彼とも、アルバニアの彼とも今知ってるみたいな共感的なコミュニケーションができていたらちがっていたのかな。

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