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暖かな気分

ベルギーレース教室に通っていたころの友人から、自宅で採れた八朔が送られてきた。


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今年は豊作なのよ、食べてくれる?


さぁ、この見事な収穫物で何をつくろうかしらと思いめぐらしながら、彼女のどこか遠慮がちなもの言いを懐かしんだ。電話で言葉を交わすが、図案を手に少しでもステッチの見栄えがよくなる術を、ああもこうも顔をつきあわせて云々した今はない時間が、限りなく愛おしく思い出される。

これはそんなに重くないから、と荷物を私に手渡しながら配達人がつぶやくような小声にいった。思わず彼の顔を見返すも、いつもの通り彼はほとんど後ろを見るようなそぶりで、手だけ伸ばし受領印をもとめる。

年末に腰を痛めていたとき、彼がふたつの届け物を持ってきたことがあった。

腰を痛めているからと、箱は床に置いてくれるよう私は彼に頼んだ。いったん車に戻りふたつ目を運んできたとき、最初の箱が部屋の奥まで動いているのを見て、あれっ?彼が声を発した。

彼がこの地域を配達するようになった最初のころ、もしかしたら言葉が発せないのかと本気で思ったくらい、ひどく寡黙な人物で、いつも受領書を持った手をにゅっと突き出し、無言のまま荷を置いていった。


ごくろうさま。暑い中大変ね。重い荷物でごめんなさいね。


彼からの返事を期待するでもないまま、ちょっとした声かけを続け3年くらいになるだろうか。


自分でそこまで運んだの?

ううん、ちがう、ちがう。足で押したの。屈めないでしょ。手がだめならば足を使える人間は便利よね。


彼がうっすらと笑った。いつも固まったように動かない彼の顔が、笑みで少し崩れるのを目にして、どこか気持ちがつながったようで嬉しかった。


今日の、これはそんなに重くないから、のつぶやきは、私の腰の様子を覚えてくれていたひと言だったのだ。

放たれた八朔の馥郁とした香りに、暖かな気分が絡まり、満ち足りた気分になった。


今朝7時半ころ、パオラ先生とメールのやりとりをする。イタリアは深夜。新年早々パオラ先生は例のウィルスにとうとう罹患してしまった。熱はないが、外出できない毎日で昼夜が逆転し、昼頃に連絡するとまだ起きていなかったりする。先週木曜日に検査したが、まだ今週末まで外出はできないという。

私の所属するレース教室が、昨秋ボローニャの伝統技術を継承するという公的認定を受けた。教室が再開され、加えこの認定を記念する展示会が12月にあった。

その展示会通いのために、朝8時半の電車でイモラからボローニャ市街に向かい、帰宅は夜の8時だといっていた。それを82歳になる先生が2週間近く連日続けたわけだ。


疲れた、疲れた。でも気持ちはすごく晴れやかで、満ち足りているの。

そうそう展示会用に作った図録を送ったから、年明けには届くはず。待っててね。


毎年の教室維持費だけでも送金しましょう、と申し出ても一笑され、教わるばかりの立場の私に、貴重な図録まで送ってくれたという。

Aemilia Arsの貴重な記録がもうすぐ手元に来る、先達や先生たちの糸の運びがどのくらい追えるのかしら。そう想うだけで暖かな満たされた気分が拡がる。先生の心が詰まった宝石箱。到来を待ちわびている。


どんなに小さなものでも、送る人を思い浮かべ品を包むひとときは、私の心のなかのその人への思いでいっぱいだ。こんな時間がつくづく愛おしい。

イタリアにいる知り合いを頼り、やっと先生に感謝の品を送る手はずが整えられた。それが届く来週には、先生の病も癒えているはずだ。心底そう祈っている。


世界中を席巻するこのウィルス、夫に関わるリハビリの方のひとりが罹患し、夫も月曜日から濃厚接触者と呼ばれている。今朝2度目の検査、3日後に再度検査があり、そこで陽性反応がでなければ、来週の入室は許可されるそうだ。

治る病も本人や家族の努力だけでは治せぬ、困難な風景が拡がっている。

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