それ、〇〇でやる意味ある?
表題、重すぎる言葉。
最近『ブルーピリオド』を
新刊まで読み返してみた。
ほんと好き。
アニメはチラッとしか観ていない。
私は原作の雰囲気と、
あとYOASOBIの「青い世界」が、
たまらなく好きです。
大学編になると
森先輩や龍二は出番少なくなるけど
ちょっとでも出てきた途端に
「うわあああ」
と叫び出したくなる。
八虎が感じたのと同じように
彼女らの存在感は
読者にとって強烈なのだ。
同様に
八虎を悩ませ続ける表題の台詞。
「それって絵画でやる意味あるの?」
強烈なパンチを持った言葉は、
絵画を自分の仕事に置き換えれば
あらゆるクリエイター、
あらゆる仕事人を苦しめる文句となる。
私は小説が書きたい。
書いてないけど。
でも、
私の頭の中にあるのは
常に同じ強烈なシーンだ。
これは小説というより
絵でやった方が本意なのでは?
そう、自問したことは何度もある。
物語というのは、
とあるシーンだけでなく、
その前後にも文脈がなければならない。
たとえばショートショートであれ、
起承転結は厳然とあり、
人物の感情の変化は、
書き起こされない冒頭以前や文末以後にも
その存在があるものなのだ。
少なくとも私はそう思っている。
だとすれば、
私の書いているものは
未だ小説と呼べる体裁に辿り着いていない。
ほんの1シーン、
あるいは人物の表情の1片、
それらを切り取って描くだけならば、
文章でなく絵画でも良いのでは?
いや、むしろ
絵画の方が良いのでは?
・・・・・・
確かにそうなのである。
あるいはこのまま、
noteに徒然とこういう心理を綴るだけで
一生を終える可能性もある。
往々にして、正しい選択とは
終わってから後の歴史が決めるものである。
ならば、
歴史に名を残す予定のない
私のようなものがなすべき選択に
誰がケチをつけることができるだろう。
・・・・・・
何でもいいから
心にあるものを形に残したい。
その欲求は確かにある。
こだわりを捨てて
その時やりたいと感じたことをやりたい。
「やる意味」は
後からついてくると思っている。
考えるより、感じたままに。
そして、
感じたままを形にできる術を、
少し磨いていかなければならない。
そんな風に思って、今日を締め括る。
それでは、また。
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