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穏やかな気持ちで死を迎えるために

 生得的な難病を原因とする致命的な病変が自分の体に生じていることが判明してから三年以上過ぎました。その間、自分の死を意識することが多くなりました。
 死は一回限りの、人生最後の体験です。そしてまた、全面的な別離と喪失の体験であるといえます。自分自身の死について考え始めると、無力感と悲嘆の感情がひたひたと胸のうちにたまってきます。
 それにしても、これまでにこの世を去っていった人びとは何を思いながら最後の時を過ごしたのか気になります。では自分の場合はどうなのかということがいやおうなく問われてきます。できることなら少しでも穏やかな気持ちで死を迎えたいものだと思い、ではどうしたらいいのかとあれこれ考えたことをとりあえずまとめてみました。

・人生を肯定的に意味づける
 ヒトは意味の世界を生きる動物です。人生の意味を考えてしまうのが人間の特性のひとつです。私の場合は、人生を幼いころまでもどって、思い出せることをたどってみました。そうすると、うれしかった体験を思いのほかいろいろと思い出すことができました。よい思い出を振り返りながら、「自分の人生はこれでよかった」、「この世に生まれてきてよかった」と人生を意味づけたいと考えています。

・さまざまなとらわれを手放す
 これまで生きてきて手に入れたものに執着しても仕方がないことです。所有物や経験や知識も、またさまざまな願望も、それらを「失いたくない」ととらわれてしまうと苦しみの原因になります。とらわれを完全に捨て去ることはできなくても、少しずつ距離をおくようにしたいと思います。

・残された人生を有意義に生きる
 有限な時間の使い方を考え始めると、自分にとって大切なこと、根源的な価値観が問われます。こればかりは、ネットで検索してというわけにはいきません。自分に与えられた命を有意義に使うように、少しでも自覚的に生きてゆこうと考えています。

・死を科学的に理解する
 日頃はほとんど意識しないことですが、ヒトも生物の一種、動物の一種です。死は生物学的に必然性のある自然現象であることを理解できれば、理性的に死を受けとめることができると思います。

・「終活」に取り組む
 死後の気がかりをあれこれとかかえたままでは落ち着いて死んでいくことができないでしょう。物品類の整理、処分を少しずつ続けています。また「デジタル遺品」の処理についても考えなければいけません。また、いわゆるエンディングノートのようなものを自己流ですが作成しています。

・最後に思いたいこと
 少し前から、「今日という一日を無事に生きられてよかった」と思いながら眠りにつくようにしています。そして、人生を終える日には、「これまで生きてこられてよかった」と思いながら最後の時を迎えたいと考えています。

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