子どもたちは「迷惑な」存在ですか

 お地蔵さまを友だちのようにして、あるいはおもちゃのようにして遊んでいる子どもたちがいました。それを見た大人は、やめさせるためにお地蔵さまを子どもたちから引き離しました。するとお地蔵さまがその大人の夢の中に現れて、子どもたちと一緒に遊ぶのを止めないでほしいと頼みました。こうしたパターンの民話が各地に伝えられています。お地蔵さまを仲立ちにして人びとは子どもたちを大切にしていたのではと思われる話です。現代と比べると物質的には乏しい時代にあっても、子どもたちが笑顔でお地蔵さまと遊んでいる姿が目に浮かぶようです。

 ひと昔前まで、子どもたちが路上、空き地、野原、寺社の境内などではしゃぎながら楽しく遊んでいる風景はあちこちで見られました。そうした遊び場は次第に失われ、最近は公園でも「大声を出すこと」「走り回ること」などが禁止されるところが増えています。

 近年、子どもたちの声を騒音のように「迷惑」として感じる大人たちが増えているようです。子どもが大きな声を出すのは親がしつけを怠っているからだと考える人たちも多いようです。保育園の開設計画に対して近隣住民が「やかましくなるので迷惑である」と反対するケースもしばしば報道されています。現代社会は排除型社会であるとしばしば言われます。普通の子どもたちまで排除の対象になる現実には暗澹(あんたん)とした気持ちにさせられます。それにしても、人類の長い歴史の中で、子どもの声が「騒音」のように嫌悪の対象として受けとられることがあったでしょうか。
 親が自分の子どもの声が「迷惑」になっていないか気にしながら子育てするのはそれだけで精神的な負担になります。子どもたちは迷惑な存在だと感じてしまうのは、ゆるやかな「社会的虐待」の始まりと言うと言い過ぎでしょうか。

 数年前から、日本の子ども・若者は自己肯定感が低いことが国際的な比較調査で明らかになっています。高校生の10%以上が自傷行為をしているというアンケート結果も出ています(国立成育医療研究センター)。自死(自殺)した児童・生徒の数はこの10年で2倍以上になっています。
 生きることに困難を感じている子ども・若者が増えていることがうかがえます。自分の存在を深いところからどことなく不確かなものとして息苦しく感じているように思われます。子どもたちの学力や能力の向上を考える以前の段階として、その土台となるところがあやうくなっているのではないでしょうか。
 
 子どもたちの姿は私たちの社会の将来を映しだしています。子どもたちが「迷惑な」存在とされる社会の将来はあまり明るくはないように思われます。子どもたちを社会全体でどのように受けとめていくのかということは私たちが共有すべき大切な社会課題であると思います。

公園で大声禁止、遊び場を追われる子どもたち(読売新聞)

日本がここまで子供嫌いになった理由(PRESIDENT WOMAN)

子どもの好きな地蔵さん




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