演劇1.2

想田和弘監督の観察映画。

アゴラ劇場という船に無理矢理下っ端の乗組員として乗せられ、いきなり船出した。
そんな没入感。

役者達の日常的な取り組みが、オンとオフの境界線を曖昧にしていく。
アゴラ劇場と駒場の街との境界さえもがなくなっていく。

演劇が観客を取り込みながら目指すイメージの共有。
それは生活から滲み出てきて、血となり肉となる。更に公演先の街とも繋がり、拡がっていく。
この感じを引き出せたのは想田監督の手腕だと思う。

平田オリザは小津安二郎の影響を受けたと認めている。
そして、スタニスラフスキーから派生するもの全てを、あからさまに否定する。
役者の内発性や即興性をあてにしてない。
セリフの強弱、具体的な動作、コンマ2秒単位の『間』を指示するだけだ。
感情のアドバイスなどしない。

ロボットと人間を競演させた時、芝居の付け方がどちらも全く変わらないことに唸った。
彼は、ロボットも役者と同じで将棋のコマだ、と言った。
確かにロボットにも感情が宿ってるように見えてしまう。
ストーリーもセリフも舞台設定も照明も全てを掌握し発信する平田オリザのような天才でないと、この真似は出来ないと思った。

自分がどのように考えていくのか、答えは得られない。だけど、勉強になった。

とは言っても、この映画をみたからと言って、スタニスラフスキーやマイズナーやステラ・アドラーと決別しようとも思わなかった。

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