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全然素人目線のマタイ受難曲! BCJ・前半【クラシック・コンサート感想②】


キリストが復活したという過越の復活祭。春分後の最初の満月の次の日曜日だそうで、今年2021年は4月4日なんですって。復活祭前の金曜日土曜日はそれぞれ聖金曜日・聖土曜日と呼ばれる特別な日である……はい、全て検索して初めて知りました。
そんなど素人の私ではあるが、今年バッハ・コレギウム・ジャパン(以下B C J)がマタイ受難曲を聖金曜日と聖土曜日に東京サントリーホール、復活祭の日に愛知県芸術劇場コンサートホールで演奏するというニュースを知り、興味があるからという理由だけでチケット入手してみた。クラシックコンサートは経験あるが、ミサ曲は本当に初めて! 何を今更的発言もあるだろうし、執筆に当たってできる限りの調べはするが間違い等もあるだろう。いや、きっとあるはずだが、そこはミサ曲、マタイ受難曲、BCJ事始めということで、お許しを。

通常クラシックコンサートに行く前には、演奏される曲をCDやインターネット等で聴き予習するようにしている。未知の曲で2時間を過ごすというのは、いくらクラシック好きといってもそこそこの忍耐が要求されるし、知っている方がぐっと感動も深まるから。というわけで今回も私は初ミサ曲、しかも大曲マタイ受難曲に備え、YouTubeを漁り始めた。
「う、嘘……」しかしそこで私は絶句する。どの動画も全て3時間超え。あり得ない。交響曲は45分長くても1時間、第九だって1時間10分くらい。3時間て。我が目を信じられずさらに検索すると、どうやら本当にマタイ受難曲は3時間以上の演奏時間となるらしい。すっかり怖気付く私。まあしかし気を取り直して、少しずつでいいからとにかく聴いてみようでないの、とひたすら聴く。聴く。きく……いや終わらない! オケが演奏して合唱が歌いソロ歌手が何人か交代で歌いの繰り返し。あーよく分からない。いや、それでもせめて一回は聴いて、きいて……結局一度も通しで聴くことなく、恐らく1時間半くらいの時点で私は力尽き、当日を迎えてしまった。

4月4日愛知県芸術劇場コンサートホール。
最初の画像を見ていただきたいが、舞台上にはその日弾き振りする鈴木優人マエストロのチェンバロを中心にぐるっと楽器がおかれ、その後方に作られた段が合唱席。注目は中央におかれたバッハ時代のオルガン、コンティヌオ・オルガンだ。当初はサントリーホールのみの予定だったが、急遽東京から運ばれ数時間かけて設営されたそうで、滅多に聴くことのできない貴重なサウンドであることは間違いない。県芸コンサートホールご自慢のパイプオルガンにオケ中のオルガン。チェンバロと合わせて四台の鍵盤楽器にテンションアップ!
着席して舞台を確認してから、ようやく会場で2,000円にて購入したプログラムを開く。いや、回し者じゃないんだが、このプログラム本当に内容濃い。演奏者紹介だけでなく、歌詞対訳、私のような素人さん向けナヴィゲートから、もっと深く知りたい玄人さん向け解説まで、「え単色刷り? 2,000円なのに」とか「意外に薄いなあ2,000円なのに」とか手にした時は確かに思ったが(笑)これは買うべき一冊。もしBCJのマタイ聴く方いらっしゃるなら、絶対購入をお勧めする。
というわけでパララララ……先ずは「初めて《マタイ受難曲》を聴く方のために」という解説ページを読む。
そもそもマタイ受難曲とは<「聖金曜日」に礼拝で上演されるものでした>ふむふむ。<あくまで「時季もの」なのです>なるほど。「マタイによる福音書」の受難の記述をテクストに、キリストの受難から復活までを物語る音楽作品で、<福音書記者(エヴァンゲリスト)が聖書の記述をレチタティーヴォで語り、それにコラール(=賛美歌)と、創作されたテクストによるアリアや合唱がところどころに挟まる形式>なんですって。はー分かったような分からんような。でも<登場人物紹介>ページもあるので、何か歌手に役が振り分けられているのかもしれないと予測する。

開演時刻となりオケメンバーが入場。最近の風習として拍手が巻き起こる。続いて合唱の皆さん。驚いたことに森麻季さんらソロ歌手も混じって入場着席。するとその後から二人の男性ソロ歌手が入場して来て、チェンバロを挟み左右に着席。つまり前方に出ているソロ歌手は男性2名のみで、残りのソロ歌手は全員後方の合唱席にいるという形。ああ、しまった。パイプオルガニストさんの着席見忘れた。そしてラストに、BCJ首席指揮者・鈴木優人マエストロが登場。
オケの演奏が始まる。コンティヌオ・オルガンの奏者は完全に指揮者に背を向けているんだが? と見たら、オルガン両側に鏡が付いていた。なるほどね。ちなみにパイプオルガンも同じだった。
第1曲のコラール。ソロ歌手もみんなと一緒に合唱。歌詞はドイツ語だが、オケの頭上あたりに電光掲示板があり、そこに日本語訳が表示されている。
全体のコラールが終わると、チェンバロ左横の男性、エヴァンゲリスト役の櫻田亮氏(テノール)が立ち上がり朗々と歌う。続いて右横の男性イエス役の加耒徹氏(バス)が歌う。お二人とも素晴らしい迫力だ。
<祭りの期間はならん>の明るい合唱を経て、再び櫻田氏。どうやらこのエヴァンゲリストが語り部となり、各場面で登場人物が歌うという作品らしいね(今頃)。
途中で後ろの合唱段にいた男性・久保法之氏(アルト)が一人前方に移動してきて、チェンバロ前でソロ歌唱。初めて聴くカウンターテナーの歌声にすごく感動する。歌い終わると、再び後ろに戻る久保氏。エヴァンゲリストを除きイエス役の加耒氏も含め、ソロ歌唱になるとソロ歌手たちが順番に前に出て、終わると再び下がり後方席で合唱をするようだ。ソプラノの森麻季さんもダークレッドとブラックの美しいドレスでゆっくりと前に出て素晴らしい歌声を披露してから後ろに戻る。
「オリブ山にて」、<私を見分け、受け入れてください>という第15曲と<あなたの御許に留まります>という第17曲コラールの美しさと敬虔さに涙が……と思ったら、どうやら第15曲と第17曲は歌詞が違うが同じメロディのようだ。というかこのコラールはマタイ受難曲中で最も有名な受難のコラールであり、全部で5回全て異なる調性で現れるそうなのだ。ええ、これも全て後からプログラム中の鈴木雅明氏(BCJ音楽監督&優人マエストロのお父様)の巻頭言を読み直して知った情報なんですがね。<これは、驚くべき深遠な計画であり、もちろん歌詞の内容やストーリーに強い動機があることがすぐに想像できるでしょう>ということだそうだが、もちろんど素人の私は無理、気づきませんでした、ははは。
物語は進み、ユダの裏切りによりイエスは捕縛される。捕縛はレチタティーヴォで描写されるが、本当に手に汗握るシーンだ。
第27曲ソプラノとアルトのアリアは悲痛で泣けてくる。
 So ist mein Jesus nun gefangen.    そして私のイエスが囚われてしまった。
 Mond und Licht ist vor Schmerzen untergegangen. 月も光も苦痛から沈んでしまった。
コンティヌオ・オルガンの貴重な音はほぼフルの活躍ぶりで、あるときは重々しくあるときは明るく響き、場面展開でも♫チャンチャン♫みたいな大きな役割を果たしている。チェロやフルート、オーボエ、リコーダー等の古楽器プロトタイプも出てくるし、個人的には愛する鍵盤楽器群の活躍も楽しく、つまり情報量があれこれ多すぎて、嬉しい誤算だが本当にあっという間の前半1時間半だった。
第29曲コラールをもって第一部終了。ていうか、観客の皆様方も終了したのか分からなかったんじゃないか? マエストロが手を下ろして客席に一礼したから、ああ終わったんだなって感じ。20分間の休憩。

ああ、また終わらなかった。後半に続く! 

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