2台ピアノの調べに乗せてーストラヴィンスキー3大バレエ組曲を一夜で堪能するー
ストラヴィンスキーの3大バレエ組曲というとオーケストラによる演奏を想起するのではないだろうか。頻繁に変化するリズムや同時進行する多様なメロディ、圧倒的な迫力と音量などが魅力である一方、演奏には高度な技術が要求される難曲揃いだ。その複雑なストラヴィンスキーの3大バレエ組曲を2台4手のピアノで、しかも一夜のうちに演奏してしまうという、なんとも魅力的な公演が先頃行われた。
今回その2公演を幸運にも聴くことができたので、振り返り備忘録として書いてみようと思う。
今回の2人のピアニスト、お一人はもちろんご存じ、我らが推しの……
♬務川慧悟さん♬
そして相棒! もう1人のピアニストはこの方!
♬ナターリア・ミルステイン Nathalia Milstein さん♬
☆経歴はこちら
彼女をパートナーに選んだ経緯を、務川さんは公演当日のマイクでこのように語った。(※この通りの言葉じゃないです念のため)
「ちょうど1年位前に、東京芸術劇場の方からVSのお話があり、その時にストラヴィンスキーの3大バレエ組曲を1夜のうちに演奏するという企画を提案されました。もちろん嫌ですと断ることもできたのですが(笑)その企画で行くことになりました。
その頃人伝に、ナターリアのプロコフィエフ「束の間の幻影」を収録したCDを紹介していただいたいたのですが、野性的であると同時にデリケートさを併せ持つ演奏でとても感銘を受けました。彼女はパリ管弦楽団やラジオフランスとも共演経験あるピアニストで、フランス国内で僕よりずっと有名ですが、その時は面識がありませんでした」
「ロシア人家庭に生まれフランスのリヨンで育ち、スイスとドイツで音楽の勉強をしたナターリアは沢山の文化を経験し知っています。ストラヴィンスキーもロシアで生まれ、ロシアンバレエをパリで成功させた。ロシアとフランス、2か国の文化をベースとして、複数の文化を知っているというストラヴィンスキーとの共通点もある彼女は、まさに今回の企画に相応しいピアニストだったのです。
2台ピアノの共演者を考えた時に、もちろん前から知っている人を選ぶこともあるけれど初めての人というのもありだと考え、共演のオファーをしたところ承諾の返事をいただきました。ということで、僕たっての希望でナターリアをパートナーに選び、今回の公演が実現することになりました」
「ナターリアのお父さんは音楽教師で、かつて日本で一時期教えていたことがあり、彼女も15、6年前に1度だけ関西に来たことがあるそうです。今回はそれ以来の来日で、日本で演奏するのは初めて。彼女の日本デビュー公演となります」
♬公演概要♬
①務川慧悟×ナターリア・ミルステイン 2台ピアノ
日時:2024年6月14日(金) 開演19:00(18:30 開場)
会場:なら100年会館 中ホール
使用楽器:Shigeru Kawai
②芸劇リサイタル・シリーズ「VS」Vol.9 務川慧悟×ナターリア・ミルステイン
日時:2024年6月18日(金)開演19:00(18:00ロビー開場)
会場:東京芸術劇場 コンサートホール
使用楽器:スタインウェイ
☆☆曲目(両会場とも同じ)☆☆
☆プログラムノートは今回全て務川さんが担当!
※6月17日(木)に関係者向けの公開リハーサルが行われました。その様子はこちらの記事で詳しく紹介されています。
♬「火の鳥」組曲1919年版(ワスター編)♬
(1st:務川慧悟 2nd:ナターリア・ミルステイン)
グレーのスーツにワインレッドのシャツ、胸元にワインレッドとラベンダー2色のチーフを覗かせた務川さんが1st、紙の楽譜を置き譜めくりさんが捲る。2ndのナターリアさんは奈良では黒のノースリーブのブラウスにスラックス、東京では黒のジャケット姿。両公演ともタブレット楽譜を足元で操作するスタイル。
魔法の物語の幕開けを伝えるおどろおどろしい〈序奏〉のメロディが務川さんの1stから流れ、2ndナターリアさんは立ち上がり内部奏法で音を鳴らす。探るように互いの音に耳を澄ませ慎重に応える。そんなやり取りを重ねながら「火の鳥」の物語がゆっくりと進行していく。聴く方も最初は様子を伺うように全身を耳にしてどことなく緊張していたが、気づけば2人が奏でる魔法の世界にすっかり包まれているのだった。魔法の動きか火の鳥の舞か、空中でスパークが一瞬煌めき、次の瞬間違う方向に行き交うように煌めく。
抜粋なので演奏は早くも終盤に。この曲のラストは、特にオーケストラではその半端ないドラマティックな盛り上がりが有名だ。Tuttiで大団円の喜びが次々と繰り出される。ジェットコースターが急降下するように一旦収まってからの、ぐおおおおおーと地の底から湧き上がってくるようなオーケストラの2段3段階ものクレッシェンド。その大迫力をピアノ2台でどう表現するのか、個人的にはとても興味があった。
息を合わせ目で合図しつつの同音連打やトレモロ。2人それぞれの全身と全神経を、勝利の賛歌の力強さと華々しさに込める。急降下からのフォルテは同音連打分散和音でさらに音量を上げていく。会場を充満した熱量は、オーケストラの大音量にも引けを取らない。さらにまだまだ、まだまだ放出されていき……フィニッシュ!! 2人とも出し切った表情だ。魔法から覚めたように会場からも一気に大拍手が起こった。奈良では1曲目からブラヴォーが飛んだ。
余談だが「火の鳥」ラストはバレエでは王子王女や貴族男女が勝利を祝う舞踏会のような場面なんですね。いやあ、火の鳥が空に羽ばたいていく場面だと思い込んでいたなぁ、ほら手塚治虫『火の鳥』のように(笑)。そうだったのかーと思い知った。
♬「ペトルーシュカ」からの3楽章(バビン編曲)♬
(1st:ナターリア・ミルステイン 2nd:務川慧悟)
この曲はオーケストラ編の場合でも、全体的にピアノソロが大きな役割を果たしている。ちなみにWikipediaにも〈当初はピアノ協奏曲として着想されたため、とりわけ前半部分でピアノの活躍が目立っており、「ロシアの踊り」は特に有名である〉と記されている。
務川さんも「ストラヴィンスキーは作曲を頭でなくピアノで行っていた」と、今回の3大バレエ組曲を2台ピアノで演奏する意義を強調されていたのを思い出す。ストラヴィンスキーはオーケストラのスケールの大きさと音の多様性を求める一方で、ピアノの音色はやはり彼の中で重要な位置を占めていたのでしょうね。
第1曲「ロシアの踊り」は歯切れの良い和音によるフレーズから始まる速いテンポ展開の舞踊曲。第2曲「ペトルーシュカの部屋」ではちょっと歪でカクカクまたはパラパラした音の散らばりが人形の動きを思わせる。
第3曲「謝肉祭」。
ナターリアさんがテンポに乗ってノリ良く体を動かし、務川さんは時に鍵盤に覆いかぶさったり足を大きく後ろに繰り出したりと、2人とも身体全体を使っての演奏が楽しい。そしてとにかく休む間がない! それぞれが複雑なリズムや突然現れる重要なフレーズに埋没しつつも、この曲でもさりげないアイコンタクトと呼吸で相手としっかり合わせていく。2台のピアノが奏でる複雑な紋様が絡み合い、一つの織物として会場を埋めていく様はまさに奇跡のよう。両ピアニストも、また聴衆も一瞬たりとも気の抜けない濃密な時間だ。夢の中のppのささやきは蛍の輝きのように光跡を残し消えていく。物おじしない大胆な人形を巡るストーリーをなぞるように、ユーモアや悲哀、あるいは怒りや諦めなど色んな感情がもたらされるが、その揺れ動く感情こそがこの曲の魅力だろう。技術的に難しい曲なのはもちろんだが、それでも2人が楽しそうに演奏していたのが伝わってきた。
♬バレエ音楽「春の祭典」(作曲者自身による編曲)♬
(1st:務川慧悟 2nd:ナターリア・ミルステイン)
成立の経緯を読むと物語性はなく、まさに舞踊のための曲。この凶暴性溢れる曲でバレエダンサー達が優雅とは遠い舞を始めたら……1913年パリ・シャンゼリゼ劇場の初演での騒乱もわかるような気もする。(しかし独り言なのでご勘弁願いたいが、非常におぞましいテーマの曲ですねえ)。
そしてまたまたごめんね、Wikipediaによると〈ストラヴィンスキーの三大バレエの中では唯一、ハープ、チェレスタ、ピアノといった楽器が含まれていない点は特筆に値する。打楽器に関しても、他の二作では活用されていたグロッケンシュピールやシロフォンといった鍵盤打楽器が含まれていない〉。
つまりメロディ(ストーリー)も大切だがリズム(ダンス)がより重視されているように感じられる。ストラヴィンスキーはピアノの連弾楽譜をほぼ直すことなく書き上げ同年に出版しているが、鍵盤楽器のピアノの演奏においても打楽器的要素が普通に求められていたのでしょうね。
そして2人の2台ピアノ。もうね、凄かった。例えば右手で複雑な音の繋がりが奏される一方で、同時に左手ではあまり関連ないようなリズムがハンマーのように繰り出されていたりする。聞いていて手指の筋は大丈夫かと不安を覚えたほどの同音連打や、カウント取っていたらムチウチになりそうな変拍子。生贄として命懸けで踊り狂う処女ではないが、この2人の若き天才ピアニスト達もまるで音楽に魂を差し出しているような、そんな錯覚すら覚える演奏だった。
さらに注目したのは、この曲の静なる部分だ。ともすると混乱あるいは凶悪さに印象が残りがちだが、間の静かなパートでオーケストラと2台ピアノの違いが大きく出ていた気がする。
第2部の「序奏」「乙女たちの神秘的な踊り」。オーケストラ版で現れるのは息絶え絶えのヴァイオリンソロや獣の遠吠えのような消音器付きトランペット、不穏な風を思わせる弦楽器と木管楽器。緊迫感と淫らと背徳と。やがて迎える春の祭の期待を密かに孕みつつも、まだ牙を向いていない静かな夜の森の緊張が場を覆う。
それを2台のピアノが演奏すると、不穏な雰囲気の中にもなんとも可憐で純粋な部分が感じられるから不思議だ。2人の奏でる音色の美しさが成せる業なのかもしれない。ピアノの単体の音だからこそ伝わる、切々としたフレーズや音型の妙。夜はもっと澄んでいて、乙女の孤独な声が森の奥底にまで深く伝わっていくような気がした。
純粋な感情は、やがて不穏な気配のますますの高まりに飲み込まれていく。失われていく理性、再び狂乱の場面が訪れる。変拍子にタイミングを取りつつ、打楽器のようなリズム、しつこいまでの反復、複雑なトレモロ、装飾音、効果的なグリッサンド。一心不乱にピアノに向かう2人のピアニストの献身。奇跡のような音楽の奔流に、聴いている方も感情の乱高下が激しくなる。そしてフィニッシュ! 二人とも身体を後ろに投げ出し片手を上げた。凄いものを見た、聴いたという震えから、客席のタイミングは一瞬遅れる。そして爆発的な大拍手、ブラヴォーが飛び、スタンディングオベーションが起きた。
♬アンコール♬
①チャイコフスキー「くるみ割り人形」より〈金平糖の踊り〉(エコノム編)
(1st:務川慧悟 2nd:ナターリア・ミルステイン)
ロシアのもう一つの有名な3大バレエ繋がりというか、とてもしっくり来るアンコールではないか! 可憐でキラキラした音に心癒される。
②ショパン ピアノ協奏曲第1番第2楽章
(1st:ナターリア・ミルステイン 2nd:務川慧悟)
務川さんのお話。
「アンコールは何にしようかとお互いにいくつも案を出し合いました。今回日本でナターリアがショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏することになっていたので(※2024年6月16日横浜みなとみらいホール)、その第2楽章をアンコールにと僕から提案しました。ナターリアは非常に謙虚な人なので、それでは自分が目立ってしまうからと遠慮していたのですが、この曲は僕も大好きだしオーケストラ伴奏であっても弾けるのは嬉しいからと伝え、演奏することになりました。ストラヴィンスキーの曲が暴力的だったので、ショパンで癒されていただきたいと思います」
ということでショパン「ロマンス」。力強いピアノで圧倒される演奏を聴かせてくれたナターリアさんのピアノはとても繊細で美しく、まるでずっと歌が流れているようだった。務川さんの伴奏も優しく、ソロパートをそっと包み込むように支えていた。
尚このアンコールについて、奈良公演では務川さんがマイクで「写真撮影だと音が出るので遠慮していただきたいが、動画撮影はしていただいて構わないです」とおっしゃったので、多くの方が動画撮影していた。東京公演は残念ながらその点の言及は無しだった。
♬サイン会♬
両公演ともサイン会があり、多くのファンが並んだ。素晴らしい奇跡のような公演の後にも関わらず、お2人ともに笑顔で対応されていたのが印象的だった。ナターリアさん、日本にまた来てくださいね🎶
☆遠征散歩☆
推しのおかげで、今回も良い旅をしました~♪