見出し画像

鳥に対して反省した日

 生まれて初めて、探鳥会に参加した。場所は調布市。祇園寺という天台宗のお寺の主催で、周囲には畑や田んぼもあり、自然が豊かな所だった。

 きっかけはゴールデンウィークに、軽井沢の「野鳥の森」で、親切な女性バードウォッチャーに出会ったことだった。
 そもそも私は鳥に対しては、彼らが家のベランダに便をするということから、比較的冷淡な態度を取ってきたというか、積極的に関心を持とうとはしてこなかった。それは軽井沢でも同じで、軽井沢にはたくさんの野鳥がいるが、全部ひっくるめて「鳥」としてしか考えたことがなかった。
 しかし、その女性ウォッチャーの方が、4種類ほどの鳥の姿と鳴き声を教えてくださり、ただの「鳥」だったものが「キビタキ」や「ミソサザイ」であるとわかった途端、がぜん面白く感じたのだ。おお、今のはセンダイムシクイの声!わかるわかる!というわけだ。
 それ以来、東京でも、街を歩いていて何となく鳥が気になるようになり、とりあえず身近な鳥だけでもちゃんと判別できるようになりたいな、と思っていた。そんな矢先、たまたま出講先の大学で、同僚の先生が探鳥会に参加されると知り、「渡りに船」と私も同行させていただいたのであった。

 探鳥会は日本野鳥の会の先生のレクチャーと、フィールドワークという構成だった。ちょうど鳥の子育て+巣立ちのシーズンということで、テーマは「鳥の親子」。
 先生のお話は多岐にわたって、全ては記すことができないが、趣旨をまとめると、

  1. 鳥の親子はそもそも見分けるのが難しい。鳥の子は親にかなり近いサイズで巣立つからだ。それでも、子は色目が親に比べてぼやけている、尾羽が親より短い、行動がおかしい(色々とやってみて失敗しながら学習するから)、などの特徴があるので、それで成鳥ではないとわかる

  2. 鳥は大変な苦労をして繁殖と子育てをするが、それでも生存率は低い

ということだ。例えばスズメの場合、4月から、長い場合は11月くらいまで子育てをする。卵が産まれてから2週間でヒナがかえり、そこから2週間で巣立ちを迎えるそうだ。その間、親は4200回ほど餌を運ぶ。スズメは植物の種を食べられるよう進化した鳥だけれど、ヒナにはタンパク質に富む虫が必要なので、親は1日300回ほど虫をつかまえなければならないのだ。
 しかし、そうやって親が必死に育てても、幼鳥のうちに猫や別の鳥に食べられたりしてしまうこともあり、生き延びる確率は低い。生きられる時間も概して短い。先生は、鳥に人間のような「平均寿命」という考えをそのまま当てはめることはできないが、スズメの場合は1年3カ月くらいだろうとおっしゃっていた。

 お寺の本堂でのレクチャーを終えて、外に出ると、ムクドリの集団に出くわした。ちょうど日光浴の時間だったようだ。先生はさっそく電線に止まっている子供を望遠鏡でとらえ、見せて下さった。子供は脚が弱く、すぐ疲れてしまうので、立っていることができず、お腹のあたりでべたっと座るような体勢を取るので、わかるのだそうだ。
 カラスもいた。カラスは口の中が赤いと若鳥で、黒いと成鳥とのこと。高い所に止まってあたりを睥睨しているのは大抵おとうさん。これは縄張りを守る行動らしい。
 ムクドリもカラスも、日頃よく見かける鳥だが、そもそも「子供」とか「おとうさん」とか「おかあさん」と認識したことがなかったので、目から鱗というか、なんだかこれまでの世界が(いい意味で)ガラガラと崩れたというか、かなりの衝撃だった。先生は「あ、今のはヒヨドリですね!」「あ、今のはおとうさんです!」と、次々に教えてくださるのだが、私には「視界をよぎるだけの黒っぽい物体」でしかないものを、瞬時に識別していらっしゃるのがすごい。訓練していけば、いつかそんな風に見分けられるようになるんだろうか。

 道路を横断して、近くの田んぼまで歩く。ツバメが多い。電線にはキジバトも止まっている。と思ったら、一羽のカルガモがばさばさばさーっと飛んできて、田んぼに着水した。先生によると、カルガモは雌雄を見分けるのが難しいが、これはメスだろうとのこと。メスということは、本来近くに子供がいるはずだが、「いませんねー。子供が食べられちゃって、次のつがいを探しているところかもしれませんねー」。先生が事もなげに「子供が食べられちゃって」とおっしゃったのが印象的だった。鳥って本当に過酷な環境で生きているんだ。目の前にいる、子供を失ったかもしれない、一人で生きているメスのカルガモに、急に尊敬の気持ちがわいてきた。私よりずっとしっかりと生きている、という気がしたのだ。今後の人生で何か困難があったら、このカルガモのことを思いだそうと思う。

 フィールドワークを終えて、お寺に戻る。先生のまとめのお話があって解散。2時間ちょっと、本当にあっという間だった。
 帰り道、つくづくと考える。うちのベランダに来ていた鳥たちは、おとうさんだったのか、おかあさんだったのか、子供だったのか。まだまだ見分けはつかないけれど、彼らが「一年後に生きているかどうかわからない世界」で果敢に生きていることに敬意を払いたいと思った。便のことばかり言って悪かった。
 それから今日の暑さのことを考えた。6月中旬というのに30度ごえとか、昔だったら考えられない。地球は一体どうなってしまっているのだろう。環境が変わって虫が減ったりしたら鳥も生きられない。先生も、都市部ではスズメの少子化が進んでいるとおっしゃっていた。そのうちベランダにスズメが来なくなる日が来るのかもしれない。
 自分にできることは何なんだろう、などと、柄にもなく思いふけりながらバスに乗った。とりあえず、読んだことがなかった中西悟堂の本でも読んでみようかな。いずれにしても、もうちょっと鳥のことが知りたい。それにはやっぱり双眼鏡が欲しいな…などと考え、なんだ結局最後は物欲にとらわれているのか、と自らをたしなめつつ、調布駅をめざすのであった。




 



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?