博士号とマジックキャッスルメンバーシップ

博士号には大きく2つがあって、大学院に進学して取得する(課程による)ものと、論文書いて認められると貰える課程によらないもの。いわゆる「論文博士」。

院に行く方がスマートな感じがするけど、わたしが選んだのは現場に出ながらひたすら論文を書く、雑草型の論文博士スタイルでした。

でもやっぱり大変になって、一度ほったらかしにしちゃったのね。
そんなある日、マジックキャッスルのオーディションを受けられることになったのですよ(ジャジャーン)
子供の頃からの夢だったので。
もう久しぶりに根詰めましてね。決まってからの日が短かったのもあって、寝ても覚めてもオーディションルーティンと英語のレッスン。

ルーティンは、当時わたしのマジックの先生だった方々に相談に乗っていただき、英語プレゼンはネイティブスピーカーの友人に徹底的にレッスンを受けたりして。
こんなに頑張ったのは、国家試験、専門医試験以来だったんですよ。

ありがたいことに合格させていただいて、晴れてマジックキャッスルのメンバーになれたわけなんだけど。
振り返ると、ひさびさに自分が一生懸命準備したものを思いっきり人に評価される、というのが楽しかったんですよ。
忘れていた快感というか。

たくさんの教授の前でたった一人プレゼンするところとか学位審査にそっくりだったわけですよ。
そしたら、なんか頭の中の天使みたいのがカタコトの日本語で語りかけてくるわけ。
「アナタ、タイセツナコト、ナニカヤリノコシテマセンカ?」
みたいに🤣
ヤバい、
日本帰ったらマジメに論文かかなきゃと💦

そんな訳で、マジックのおかげで博士号も取れました。というお話。

大病を患い人生のどん底にあった時も、仕事も辞めなきゃいけないくらい悩んだ時も。
いつもマジックが救ってくれたんです。

病名は小脳橋角部腫瘍。良性だったけれどオペをしなかったら死ぬ可能性もあるってことで、オペしたんだけれど。
起こりうる合併症が、記憶障害、半身麻痺、顔面神経麻痺。
生まれて初めて神頼みしましたよ。
記憶障害も半身麻痺もマジックできなくなっちゃう、と思ったから。
こんな時、神様と取り引きしようなんて不遜極まりないんだけど、
神社で手を合わせながら祈ったわけ。
「マジック出来なくなるから、記憶障害と半身麻痺はカンベンして下さい。顔面神経麻痺は我慢します」と。
手術が終わったら、やっぱり顔面神経麻痺だけ残っちゃいました🤣

いつも帽子を目深に被ってるのは、半分顔が動かなくて表情がないコンプレックスから。
コンプレックスは今でもあるし、自分の顔は嫌だったけど、マジックがあったからへっちゃらだった❗️😆

手術後の数年は毎日体調が悪くて、頭痛と吐き気に悩まされて、2年くらい笑うこともできなくなりました。笑うってどうやるんだっけ?みたいな。

仕事も忙しく体力的にも精神的にも追い詰められて、わたしは逃亡しました。
福岡へ。
その頃、福岡でSAMの国際大会が開かれていて。
この状態を何とかするには、大好きだったマジックを観れば少しは良くなるんじゃないかと思ったからです。
そこには素晴らしいマジシャンたちがいました。
小川心平さん、魔耶一星さん、ジミー菊池さん。
本当に楽しかった。
久しぶりに笑い、驚き、興奮しました。
イベントが終わって帰京してからも興奮は収まらず、以前にも増してマジックに没頭しました。
どっぷりマジック漬けになる中、僕は次第に平常な心を取り戻していきました。

そして、今にいたります。

人生の節目で、いつもマジックがわたしを救ってくれました。

だから、OSMANDのプロジェクトは自分が好きでやってることではあるけど、
素晴らしいマジックやマジシャンたちを紹介していくことで、少しでも世の中の人が救われたり、幸せに寄与出来たら、これに勝る喜びはありません😊

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