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#沖縄 #アマオケ #コンマス #救命医 × コロナ禍 で対談してみた 〜パート2〜


左上から時計回りで﨑谷、筒井、林、和田(敬称略)

この動画のリンク

https://youtu.be/vQE67s_xJkI

この対談の参加者

﨑谷 直人  #神奈川フィル #コンマス #プロオケ #ヴァイオリニスト #音楽家 #LEOパートナー  
和田 一樹  #指揮者 #音楽家 #LEOパートナー
林 峰栄  #沖縄交響楽団 #アマオケ #コンマス #ヴァイオリニスト #救命医
(聞き手:筒井 #アマオケ #LEO

パート1はこちら
https://note.com/leorch_tokyo/n/na7f676b758d9

コロナ最前線で感じたこと

和田:僕はきょう林さんとはじめましてですが、﨑谷さんのFacebookで何回かツーショット撮られてるのは拝見させていただいていて。思い出すと、今年の2月頃にツーショットで写ってる写真があったのですが…
﨑谷:あのとき、学生との本番を控えていて。そしたら林さんから急にメッセージが来て、「急な出張が横浜には入ったけど、この辺ちょっと楽しいとこありませんか」ってメッセージが来た。だから本番の案内を送ったんだけど…
林:そうです、僕は救急の医者ですけど災害医療もやってて、DMATっていう災害のときの医療チームの要請がかかって、横浜港に停泊中のダイアモンドプリンセス号の中での活動をする人を募っていたので、それで行くことになったんですね。いつもなかなか沖縄から都会に行くことないので、せっかく横浜に行くだったら何かコンサートとか行きたいなと思っていつも探すんです。それで﨑谷さんに「何か面白いのないですか?」って聞いたら、その演奏会を案内いただいた。じゃあ是非伺います、ってことで話をしていたんですね。
そのときの現場が横浜港の大黒埠頭でしたが、そこにアクセスするのに良い宿を探して、鶴見駅の近くのホテルに宿とったんですが、そしたら﨑谷さんのコンサートにまさにドンピシャの場所で。これはもう運命かなって思いました。
﨑谷:運命だったね(笑)
林:行ってみたらホールとホテルがつながってたんですよ(笑)
﨑谷:あれはサルビアホールかな。
林:ちなみに僕が現場に行ったときは非常に初期の頃で、ダイアモンドプリンセス号の中もこんなに新型コロナウイルスが広がっているってまだわかってなかったんですよね。ただ実際に行ってみたら、結構(深刻)な状況になっていた。コンサートは初日の活動終わったあとに行く予定だったんですけど、なかなか活動が終わらなくて、結局戻ってくるのが9時半くらいになってしまった。そうしたら、道を楽器を抱えたお姉様方が歩いていて、もう終わったんだな…と思った。でもちょっとでも会えればと思って楽屋の方行ったけど、やっぱりいらっしゃらなくて。諦めようかな…って思ったら、電話が掛かってきて、ちょうど駐車場でクルマ出すとこでお会いすることができた。
今考えると、コンサートなんかに行ってたら、色んな人がすごい心配することになっちゃったので、行けなくてよかったと思うんですけど、当時はそこまで広がってるの分かってなかったんですね。でもコンサートに行けなくても会えたので、やっぱり、運命だなと思いましたね。
﨑谷:すごいよね、本当にニュースの中の世界。実際、林さんが船に乗り込むところとかニュースで流れてて、写メ送ったりもしてたけど。
でもDMATって、命を直接救うのが普段の仕事ですよね。救命医さんの仕事と、今回のダイアモンドプリンセス号の感染症って、実際には畑が違うものなんですよね。
林:そうです、なので最初、正直これはDMATの案件じゃないだろう…って思いました。だけど、逆に何でDMATが呼ばれたのか、それを見に行こうと思って行った。実際に行ってみたら、ダイアモンドプリンセス号って3,700人乗っているんですが、初日の検査結果を見たら、かなり蔓延してるっていうことが分かった。それを見て、これは集団災害って言ってもいいかなとは思った。日本で緊急時に組織として動ける団体って実はあまりなくて、DMATもしくは日赤。DMATは厚生労働省の配下で、今回は案件は厚生労働省からの要請だったので、それで合点がいきました。
﨑谷:検体採取から実際の診療もされたんですか?
林:はい、役割がいくつかある中で僕は発熱班になって、実際に発熱してる人のところへ行って、PCRの検体を取りに行くっていう作業でした。船がとにかくデカいんですよ、17階くらいあるのかな。もはや巨大なビルディングです。最初の頃、全員の検体取るべきだって論調がありましたが、こちら側としてはそれは無理…という感覚。
まず客室行くのに防護しなければいけないので、防護服を着込まないといけない。それだけでも結構大変ですけど、さらに広いので、端っこの客室となると相当遠い。加えて、外国の方もすごい多くて、日本語、中には英語も通じない。そこで話をして、検体とって、また戻ってくる、となると、1人の検体を取るだけでもすごい手間がかかる。それを3,700人なんてできるわけがないっていう感覚でした。その時は医療関係者がだいたい40人くらいだと思いますが、言ってみれば3,700人の村のようなもので、そうすると圧倒的にマンパワーが足りなかった。
﨑谷:その時点で、今ほどの感染力があるか、っていうデータはなかったわけですよね。心境としてはどうでした?怖い…とか
林:その頃はまだ、新型コロナはタチの悪い風邪くらいだろうという感覚だったので、怖くはなかったですね。その後、思ったより亡くなる方が多いなという印象です。怖さは全然なかったです。
﨑谷:…なんか考えられないのよね、林さんの話を聞いていても。普段の仕事でも、DMATの仕事に限らず、生きるか死ぬかのところに接しながら普段お仕事をされていて。僕なんかはベートーヴェンのカルテットのロングトーンひとつでブルっちゃうっていう世界で生きてるんだけど、林さんといると、自分が小さく感じるの。
林:それは役割が違うだけだと僕は思いますね。
﨑谷:でも林さんがバイオリン持って「あー緊張するな」とか言ってるのを見ると、普段もっと緊張しないんですか?と思うわけ。
普段のお仕事の緊張と、ステージに上る緊張と、どう違うんですか?
林:なんでしょう…でも音楽に関しても、昔ほど無用な緊張はなくなってきて、そういう意味では自分のできる範囲が分かってきたんだと思います。仕事も一緒ですが、例えば毎年研修医が入ってきて、彼らは救急に回ってくるとすごい怖がっている。むしろ怖がらない人のほうが怖い。それは自分が何もできないからで、それなのに、何でもできないといけないと思うから、怖い。いま僕はフリーランスという立場でいろいろな病院行ってますが、それは怖がっていてはできない。僕がいま怖くないのは、自分ができる範囲が分かっているからなんですよね。自分はここまでできる、でもここから先はできない。できないんだからしょうがない。と、思う。そうなると、できる人に委ねるしかない。そこを自分は知っているので、怖くない。自分ができないのにやろうとはしない。できないことはできるひとにちゃんと渡す、それが仕事で怖くないってことだと思います。音楽も、もしかしたらそれと同じところがあるのかもしれませんね。自分のできる範囲が分かってくると、できないといけない、っていう怖さはなくなるかもしれない。
﨑谷:前にお仕事の話を聞いたときに、対「命」でそれをしないといけない。僕らは、どんなに失敗しても、自分の評価が下がるとか、そういうレベル。でも、林さんの場合は生死がかかっていて、それは僕には想像つかない世界。前にお話してもらっときは、パズル組み立てるみたいっておっしゃってましたね。
林:そうですね、救急は何が来るかわからないので、それに対して一番いい道は何かを常に考えながらやっている。それが救急の醍醐味であり、語弊があるかもしれないですけど、”面白さ”だと思います。

活動再開にあたって

和田:僕らもやっぱりコロナ禍を明けるために、一人ひとりがやれることを最大限にやらないといけない。これから始まる音楽の合奏も、できる限りいい形で再開したいとは思っているわけですけど、
これはまだ答えはないかもしれないですけど、「密」である合奏をどう再開していけば良いでしょうか?
林:ちょうど、色々なオーケストラが世界中始まっていて、色々な検証もされている。実は沖縄でも今週にステージで検証をやろうとなっていたりします。
ひとつは、盲目的に怖がるのではなくて、正しく怖がりましょう、ということ。新型コロナウイルスは、感染するのは2通りで、ひとつは飛沫感染(ツバに乗っかっていってうつる)と、もうひとつは接触感染(触ったものにうつる)、この2つしかないんです。空気感染はなくて、漂っているわけではない。なので、例えば、マスクはツバが飛んでいくのを防いでいるので、周りに人がいなければマスクする必要はない。みなさん外歩いてるときもマスクしてますが、本当は要らない。それに、ツバの飛ぶ範囲が1.5m~2mだから、ソーシャルディスタンスを取りましょう、と言っているけれど、マスクをしたらそんなに飛ばない。なので、もうちょっと近寄っても良いはず。
それから、フェイスシールドは、飛んでくるのを防いでいて、自分から出るのを防ぐわけじゃない。それを考えると、オーケストラって近い距離で向かい合って演奏することはないので、フェイスシールドは要らないわけです。このあたりが、正しく怖がりましょうっていうことだと思います。

ただ、ちょっとウィーンフィルはやりすぎだと思いましたね。あれは全員PCR検査受けて陰性を確認してやってるってことですが、PCR検査も100%ではないので…あれはもうちょっと待っていいかなとは思いますが。
いま言ったように、弦楽器はマスクをしてやるのであれば、結構近づいても大丈夫じゃないかなと思ってます。それから管楽器も、すでにベルリン、ミュンヘン、ウィーンなどで検証結果出てますように、吹出口からはほとんど気流は発生しないってことがわかってますから、それでうつることはまずないってことですよね。フルートはちょっと飛ぶって言ってますけど、それでも1m以内って言われてます。だからちゃんと距離さえとれば、普通にやっていいんじゃないかなと思ってます。2mの距離さえ取れれば、ツバは普通下に向かって落ちますから。
だからいま困ってるのはホールですよね。ホールが認めてくれないこれは全国の公的ホールのガイドラインが出てるみたいですけが、そこから変えてくれないとちょっと難しいのかもしれません。でも管楽器はダメとかいう話を聞くと、それはちゃんと検証されてるので、正しく怖がってやろうよって思います。
和田:いいですね、正しく怖がる。沖縄で練習を始めていくときは、まず皆さんマスクを装着されて、ちょっと距離を取るようなイメージでしょうか。
林:実は3週間前からすでに練習再開していて、ただそれは全員集まってではなくて、パート練習からはじめました。弦楽器それぞれのパートずつのパートがだいたい8人前後来てましたので、マスクをして、1.5mの距離をとってやりました。でもよくよく考えたら、マスクしてるからもっと近くて良いんじゃないかと思いましたね。今週の水曜日には初めて弦楽器のセクション練習をやります。
﨑谷:段階を踏んでってことだね。
林:楽しみですね。
和田:筒井さんどうですか、こういう話はとても参考になりますか。
筒井:そうですね、僕らも10月に演奏会を控えていて、開催するかどうか少し悩んではいたんですけど、やっぱり演奏会やりたいよねってことで、活動再開の計画を立てているんです。でも、どういう風に怖がればいいかっていう方針が示されてないので、最大限怖がることしかできない。そうすると練習しないってことなんですけど。練習できる中で、どうやって怖がったら良いのかっていうところを本当に聞きたいと思っていたので、今すごく参考になるお話だなって思いました。
林:あと、実は数日前に娘が東京に行ったんですが、そのときの飛行機の様子を聞いたら、満席だったって言うんです。間も全然開けてなくて。もちろんマスクはしないといけないようですが、満席の飛行機が許されてるわけですよね。それを考えると、同じように前を向いて座るクラシックのコンサートがダメなわけないって思うんです。飛行機に比べると空間的にも非常に広いし、ライブハウスと違って叫んだり動き回ったりするわけでもない。そもそもクラシックのコンサートで感染する可能性って非常に低い。それで更に僕たちは距離をとったり、対策を練っているから、限りなく少なくなる。だからクラシックのコンサートは、お客さんもちゃんと入れてやっていいんじゃないかと思ってます。
和田:今の言葉は非常に勇気づけられますね。演奏会どうしようって迷っている方は、こういう対策してやればできるっていうのを林先生の口から聞けて、背中を押してもらえた、ってこともあるでしょうから。大変貴重なお言葉いただきありがとうございます。


﨑谷:プロオケも少しずつ始まって、神奈川フィルもどこかのタイミングで検証をしていこうっていう話はあるけど、
これは言わせてもらいたいんだけど、普段あれだけベートーヴェンとは…、マーラーとは…ってやっている中で、離れた状態での演奏は、もうイベントになっちゃってるよね。それ、芸術?って思ってしまう。本来、それベートーヴェンが見て喜ぶのかな?とか思う。日頃はミリ単位で詰めてやってることが、散らばることでひとつのアトラクションのようになってる。生演奏したいという、弾く側の欲求と、お客さんの聴きたい欲求があると思うけど、だったら最初から小さい編成のバロック音楽から始めたら?距離をとって我慢するのでなく、もともとの人数を減らしたら?とか、僕は思ってしまう。妥協の仕方そこなのかなって、すごく僕個人的に引っかかっている。だから聴く側ももちろん聴きたいんだろうけど、それ本当に聴きたいベートーベンなのかな、本当に聴きたい演奏なのかなと思うと、
僕は明日からウェールズカルテットのリハが始まるんですけど、ある意味カルテットやっていてよかったなと思いましたね。妥協なくできるから。
和田:この時期だからこそ、僕大編成のオケじゃなくて、カルテットの演奏会に足運んでみようかなって思うんです。バッハ、モーツァルト…ちょっと小編成のオーケストラにして、かわりに少し距離を取るとかやってみてもいかもしれない。どこのオーケストラも、定期演奏会っていうと最近はどこも巨大な編成をやる傾向がありましたから。こういう時期だったら、そうでないプログラムも考えてやれるタイミングではありますよね。
﨑谷:プロオケだとプログラム変えるっての難しくて、そのあたりのジレンマはありますね。
林:実験だと思ってやると思うのは面白いと思いますね、それやったあとで普通に戻ったら、色々気づくことがあるかもしれませんね。

筒井:さきほど﨑谷さんがおっしゃった、妥協の仕方そこじゃないだろっていうのは、僕ら素人はあんまり言えない。むしろプロの音楽家の皆さんが活動を再開されること自体はすごく前向きだと思うし、それそのものは重要な活動だと思うんです。実際アマチュアでやってる立場からしても、プロの方がそうやって前に進まれることで僕ら自身も動きやすくなる。
それでもプロはこの状況の中でも演奏の中身をミリ単位の作業で合わせていかないといけない…というのは本当にシビアですね。
﨑谷:普段自分が出したい、ちょっとのところまで詰めていくことを妥協して進まないといけないのは、すごくこれから気持ち悪くなっていくような気がしてる。まだやってないからわからないけど。だったら独りで何か届けたいとか思ってしまうかもしれないし、そのバランスをどうやって自分の中でとっていくかだね。

コロナ前後での価値観の変化

筒井:僕が少し話したかったのは、ウィーンフィルが活動再開するときに、通常の形で演奏するだけでなく、間引きしながらもお客さんを入れて、その前で演奏することをまず初めにやったじゃないですか。でも一方で、他のオケではお客さんを入れないで、団員だけでまず演奏するっていう立ち上がりの仕方があって。そうなったときに、音楽家の皆様の欲求としては、何よりもやっぱりお客さんの前で演奏したいって思うところなんですか?
﨑谷:人によるんじゃないかな。僕は今回オンラインで、YouTubeとかSNSを使ってみて思ったのは、今までの演奏ってパーソナルなことだったんです。オケでもなんでも良いんですけど、演奏して誰かに届けるというよりも、よりプライベートな感情が強かったんです。でも、配信を通じて、その日に、誰かに、「﨑谷さんの音を聞いて穏やかになりました」とか、「よく眠れます」とか、「嫌なことあったけど忘れられました」みたいな反応をいただいて、普段の音楽とは全く違う意味合いがあったのにすごく気付かされたんです。すごくそれで自分は満たされたのね。だから、配信している時は、それが本当に正しいバッハかどうかとか、そんなこと1mmも考えてなかったな。それが音楽家としてどうかはわからないけど、でも今まではそこをすごい気にしていて。本当に自分は胸を張って正しいと思えるベートーヴェン弾けてるのかな…っていうことばかりを考えてたんだけど、それがそうじゃなかったこの数ヶ月って、不謹慎なんですけどすごく楽しかったです。そういう音楽の届け方あっても良いんじゃないのってすごい思いましたね。だから幅は広がったかもしれない。自分の中での”届ける正解”っていうのかな。
和田:興味深かったのは、神奈川フィルのもう一人のコンサートマスターの石田さんと対談されているときに、石田さんはやはり生で、っておっしゃってましたよね。本当にすごくそういう意味で神奈川フィルは二大看板が違うアピールになってていいなって思いましたけどね。
﨑谷:だから、音楽って言ってもいろいろな関わり方があるってすごく思ったかな。
林:あと、今回のことで、ぼくたちは地方、しかも沖縄っていう遠いところの人間からすると、元々コンサートとか全然普段行けない環境にいて、だけど配信を通じて、色んな人の演奏が聴けちゃった、そういうメリットが実は地方の人にはありましたね。これは都会にいるとわからないかもしれないですけど。
﨑谷:知ってもらうって意味ではね。
林:ちょっと得をしてしまいましたねったっていうね。コンサートいけなかった人には申し訳ないですが、行けるはずもなかった人たちが聴くことができましたね。
﨑谷:不思議な感覚だったな、すごく。いまベートーヴェンのカルテットとかさらってても、前と全然感覚が違うんだよね。前に気にしてたことが、ものすごく小さいことのような気がしたりとか。演奏によって相手の感情を動かしたいと思うようになってしまったかもしれない。それがもしかしたら欲だといえば欲なのかもしれない。だから音楽をする上で、本当は除外しないといけない感情なのかもしれない。でもそういう感情がどこかにあったとしても良いんじゃないかな、という気付きとのバランス。だから両方をする活動をしようって思った。すごいそれは変わったよね。

医者をやりながら、音楽と関わるということ

﨑谷:林さん、さっきご自身のお仕事について、できることとできないことの棲み分けができるようになったっておっしゃってたじゃないですか。そう思えるようになった瞬間ってあったと思うんだけど、何がきっかけだったのでしょう?
林:それは経験だと思いますけどね。自分にできることが増えていく中で、でもやっぱりスーパーマンではないので、全てをできるわけではない。例えばヴァイオリンは弾くけどトランペットは吹けない、というのと全く同じですね。誰もが心臓の手術できるわけではない。
﨑谷:助けられなかったときのショックって、若い頃はやっぱりありましたか?
林:そうですね、特に子供とか若い人が亡くなるときは。年齢重ねられてから亡くなるのとはまた違うので。
﨑谷:例えば僕だったら、そういう現場に立ち会っただけで、次の日からヴァイオリン弾くどころじゃないくらいショッキングだと思うんです。でもまたそこに立ち返らないといけない。そこのコントロールってどうされてるんでしょうか?もう意識しなくてもできるのでしょうけど。
林:そうですね、人の死というものを、普通の人よりもたくさん見てるわけですよ。だから死ということがそんなに特別なことではなく、人は絶対に死ぬっていう感覚ができている。そのタイミングがいつくるかだと思いますね。それはどこかで麻痺していて、意識的じゃなく、無意識に作られていったわけだと思います。
﨑谷:普段の仕事をしている中で、毎週水曜日に音楽の時間あるわけじゃないですか。それはすごく大事な時間だと思うんですけど、音楽がもたらす効果とか、影響ってあります?
林:僕にとってオーケストラ活動って、リフレッシュというよりはストレスを感じるところでもあるので…常に楽しく弾くわけではないんですよね。ある意味仕事に近いところがちょっとある。
でも僕は2014年からフリーになって、6年目が終わっていて、いまは毎日夜ごとに違う病院に行っている。普通だったらそれだけで精神的に不安定になるかもしれないですが、全然そうならないのはなんでだろうって自分で思ったときに、沖縄交響楽団のコンサートマスターで、毎日水曜日に練習があるってこと、そこだけは変わってないんですよね。だからこれが自分の中で根っこの部分としてあるって感じましたね。だからすごく精神的に安定して医者としても活動ができている。
﨑谷:自分の人格の柱として、沖響での活動があるってことですよね。
林:そうですね。感覚としては、バイオリン弾きっていう人種が、医者という仕事をしている。だから医者やめてもバイオリンは弾くよねって思う。例えば自分が日本人っていうのと同じように、バイオリン弾く人種っていうことかなと。
﨑谷:すごくない?
和田:バイオリン弾きで更にお医者さんをやられてると
﨑谷:だからもしかしたらバイオリンを林さんから奪ってしまったら、お医者さんとしての林さんも崩壊してしまうかもしれないですよね。もう明日からバイオリン弾いちゃだめって取り上げたら。
林:そうかもしれないですよね。
和田:音楽は生命維持に必要だと。
﨑谷:音楽が、林さんが林さんであるために必要なものであるっていうのはすごく面白い。っていうことは、僕が個人的にこの人の感情を動かしたいって思ったのも音楽家としてナチュラルだと思える。こういう話を聞くと、自分の音楽がバッハとかベートーヴェンに対して失礼がどうかっていうのはまた別の話で、その両輪ができる音楽家にならないといけないなっていうのをすごい思い知らされる。
林:だから﨑谷さんからもらった影響で、またぼくたちはそれぞれの仕事をやっていってるんですよね。音楽家の仕事がとても大切というのはそういうことで、そうでない人のモチベーションも上げることができるってことだと思います。
和田:DMATを支えてたのは﨑谷さんだったんですね。
﨑谷:でもある意味そう言ってもらえたらね、それはそれで(笑)
和田:要約しすぎました(笑)でもそういうことですよね、本当に。
筒井:僕すごい思ったのは、音楽家の方たちって、特にバイオリンとかは小さい頃からずっとやっていて、バイオリンを弾くことが当たり前みたいな方たちが結構多いと思うんですけど、たぶん林さんの場合は、本業が忙しくなったり、いろいろな事情で、いくらでもやめるタイミング、やめてもおかしくない状況ってあったと思うんですよね。それでも今でも続いてるっていうのは、音楽家の方たちとは全然違う乗り越え方をして今コンサートマスターやられてるんだなって思って。こういう経験をされてる方からじゃないと聞けない話だなって思いました。
﨑谷:自分の仕事がある中で、音楽と付き合っていく理由とか、弾く側でも聴く側でも色んな関わり方があるけど、人それぞれで面白いよね。

筒井:最後に林さんにお伺いしたいのは、ご自身はオーケストラのコンサートマスターをやられていて、一方で医師としてコロナ対応の最前線にも立たれたと思うんですが、そのときに、医師として従事しながら、今後のオケ活動に対して、直感的に何を感じたか、教えていただきたいです。
林:ダイアモンドプリンセス号から帰ってきたときに、最初は怖くなかったって話をしましたが、途中でDMATのメンバーから1人感染者が出ちゃったんですよね。僕たちは完全防護して患者さんと会っているので、濃厚接触にはならない。それでも絶対に感染してないとは言えないということが分かって、そうすると自分が感染するかもしれないっていうことと、知らないうちに他の人に移しているかもしれないっていう恐怖はあって、コロナはそれが一番のストレス、相当なストレスでした。そんな中で帰ってすぐアンサンブルコンサートがあって、まだそんなに広がってなかった頃だったのでその演奏会はやったんですよね。自分はうつってないと思いながら、内心はドキドキしていて、誰か熱出たらどうしようって思っていましたね。
いまとなっては、沖縄は幸い陽性患者が0人になって40日以上が過ぎていて、コントロールされてますから、都会の方に比べると感覚的には違うのかもしれないですが。

最後に

﨑谷:僕は沖縄での演奏が好きなんで、またみんなと弾きたい。本当にフレッシュなんだよね。本来音楽って比べるものじゃない。コンクールだなんだってあるけど、最終的には聴いたその人がどういう気持になったかっていうのが良し悪しだと思うし、沖縄に行くそれを思い返させてくれるんだよね。だからみんなと会いたい。すごく。
和田:あと少しで、状況が変わって、県外の外出がOKになったら、第一に沖縄に行くと。﨑谷和田は約束します。
林:和田さんもぜひ来ていただいて。筒井さんもぜひいらしてください。
﨑谷:収束したらLEOと沖響でなにかやりましょう。ぜひ。
和田:改めてですけど、林さんには大変感謝の気持ちを込めてですね、本日の対談、このへんでお開きにしたいと思います。みなさんありがとうございました!

収録日:2020年6月14日



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