橋本輝幸さんとの交換日記 I #交換日記の多発
さてSF批評家で世界のSF情勢にくわしい橋本輝幸さんが #交換日記の多発 という企画を提案なさり、筆者も参加することとなりました。筆者は猫屋レオ丸と申します。
今気になっているトピック
橋本さんから今気になっているトピックを問われました。直近でいえば、今年に入ってから小野不由美の『十二国記』シリーズを読んでおりまして、いま『白銀の墟 玄の月』にとりかかるところです。ところで、木澤佐登志によれば、十年代以降一部リバタリアンらが「新官房学」なる概念を掲げているとのことですが、日本語圏で新官房学的ヴィジョン(つまり政治を廃して国家の機能を行政と経済に集約する)を謳う運動体が現れるとすれば、小野不由美の十二国世界のあり方に取材するのではないかという気がしました。もっとも、それらリバタリアンらの目指す世界に近い世界を語る小説といえばニール・スティーブンスンの『ダイヤモンド・エイジ』などのようです。木澤の本でも指摘で言及されている通り、いわゆる「新反動主義」立役者らはしばしばファンタジー作品―ことさら『指輪物語』―に影響を受けているため、それを日本語圏に援用してこんなことを考えてしまうのです。
未来、都市、ユートピア/ディストピア
ユートピアに政治はありません。トーマス・モアの描く専制国家からウィリアム・モリスのアナーキスト的理想の実現した未来世界まで、それは明らかです。ユートピアとは変化のない状態なのですから当然です。ユートピアが理想と捉えられるのは、流れ着いた旅人や訪問者、未来世界にやってきてしまった過去の人間などが外部の視点から客観的に語るからです。ユートピアとディストピアは視点のちがいに過ぎません。マーガレット・アトウッドのギレアデ共和国を外国人の旅行記としてユートピアに仕立てることもできるでしょう。
魔女
抽象化された家父長を奉る一神教が西へ東へと拡がる人類史にあって魔女宗復興は大いなる希望です。魔女という概念は一見して矛盾するいくつもの像をかたどります。それは熱狂して肉をひきさくバッコスの巫女であり、また三角錐を調べるアレクサンドリアのヒュパティアなのです。筆者が好きな魔女の姿といえばスティーグ・ラーソンの『ミレニアル』シリーズの主人公リスベット・サランデルです。
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