創作怪談 朱くて美しいバイク

 二〇二四年九月二十三日は秋分の日に劇団カハタレの企画として怪談作家鈴木捧を講師に招いて怪談創作のワークショップが開かれた。これは筆者が参加した成果となる創作怪談である。


 筆者の知り合いの熊田さんという現在三十代半ばの女性の体験した話である。熊田さんは都心にある某有名マンモス大学に通っていた。自動車部というサークルに所属していて、夏休みの時期となると毎年、西部新宿線の奥の方にある今はさびれた雰囲気のとある街に合宿に行っていたそうだ。その街には、通っていた大学の体育会などが利用できる合宿施設があった。
 埼玉県にあるその街は戦後に大手バイク製造メーカーが工場を建てて、関東におけるバイク製造の拠点のひとつとしてしられていた。その工場自体は日本での二輪需要が低下する一方、海外での需要がたかまるといった情勢を受けて、九十年代に海外に移されてしまった。ただ、その名残として駅には電車も急行が停まり、いまだ部品工場などがいくつかある。そのため新宿や、近くは所沢や川越などに通勤、通学する人も多数住むベッドタウンとなっている。
 熊田さんが所属していたサークルの合宿は、合宿とはいってもちょっとしたレジャー旅行のようなもので、昼間は合宿所から山梨の方や、または神奈川の海の方などへクルマで遊びに行って、夜は酒盛りをするというルーティンだった。
 一年生のときの合宿のある夜、熊田さんは先輩一人とともに駅の近くに買い出しに出かけた。その街の駅前には、かつて街がもっと栄えていた頃はちょっとしたオフィス街兼盛り場だったブロックがある。そのブロックを抜けるとぶつかる県道を越えると広々とした公園にであう。その公園は○○防災公園といって、なかには建物三階ほどの高さのモニュメントがそびえている。そのモニュメントは白いオベリスクの先端がカッターの刃先のように斜めになったようなものだ。六十年代から七十年代にかけて、年間数万人の交通事故死者が出るいわゆる交通戦争の時代、バイクによる事故もまたいちじるしい数に上っていた。そんななか、七十年代にバイクメーカーが音頭を取り、地元の商工会がバイクによる事故死者を慰霊するために建てたのがこの塔なのである。熊田さんはその慰霊のモニュメントの入口脇にある駐車場にクルマを駐めようとすると、駐車場に二十台ほどのさまざまな形のバイクがあるのが見えた。「暴走族がたむろしに来ているのか?」と熊田さんと先輩は話したそうである。その時代でも神奈川あたりにはまだまだ暴走族がいることは知っていたからだ。しかし、それだけの人が来ているとなれば公園は騒々しくなってもよさそうなはずなのに、人の気配がない。 
 仕方がないので、クルマは別の場所に駐めることにした。その並べられてバイクの真ん中くらいのまるで「指揮を執るよう」な位置にひときわ大型の赤いバイクがあって、なんだか浮かび上がるように目立っていたので、それが印象的だった。
 その公園の端の方は○○八幡という神社になっている。そもそもがその公園はそこの神社の森を開いて作られたらしい。かつてその土地は北関東や甲州へ物産を届ける中継地であったため、鎌倉時代に鶴岡八幡宮から勧請したという由緒のある神社なのである。八幡様といえば武士の神であり、武士は馬に乗るということから転じてバイクも現代の馬のようなものとして、バイク工場をはじめとして地元の製造業者から篤く敬われていた。公園内にある慰霊のモニュメントを建立する際もその神社の神主に慰霊祭を開いてもらったそうだ。
 熊田さんは翌年も翌々年もその合宿施設に合宿に行った。そのたびに、あの沢山のバイクの群れがまたあるのではないという気がしたが、結局そこでは見ることがなかったそうである。
 大学最後の年、秋口にゼミの飲み会が開かれた。高田馬場にある中華料理屋での一次会の後、有志でさらに二次会まで行き、終電頃に解散となった。熊田さんは神楽坂のあたりに住んでいたため、そんな時はよく高田馬場から歩いて帰ったそうである。高田馬場から東へ行く通りを進むと、大学のキャンパスが近くなり、通り沿いにこれまた流鏑馬などの儀式や冬至の日のご利益でしられる八幡宮がある。その夜はふと、熊田さんはちょっと八幡様の境内に上ってお参りしようという気になった。階段を上り、左右の両側に色鮮やかな中世の武士の像が嵌め込まれた立派な門をくぐる。すると、あったのである、あの赤いバイクが。以前公園で見たバイクの群れを指揮していた赤いバイクが参道の中ほどに、ヘッドを門に向けて置かれている。熊田さんは訝しく思いながらも近づいたて見てみた。その神社の境内は坂に沿う形となっていて、入るにはどうしても段差があるのでそこにそんなものがあるのは不自然である。どうやって入れたのか?そんな疑問が熊田さんに浮かぶ。そのバイクは全体的に朱色だが、ヘッドにしろテールにしろ端に行くにつれ黒くなっていて蒔絵のように金粉が散らしてある。ゴージャスな印象のカラーリングだ。しばらくそのバイクは見ていたが、特にそれ以上のことは起きないし、いつまで見ていても仕様がないのでもう帰ることにした。その頃はなにせ世間にスマホが普及する直前の時期あたり、当時熊田さんが持っていた携帯も撮影機能がなかったそうで、惜しむらくは写真の一枚も撮ることはできなかった。「その時にスマホがあったら撮影してたんだけど」
 その後、熊田さんは都内の企業に勤めている。初詣など折に触れ各地の八幡様にお参りに行くようしていという。「そのうちまたあのバイクに会えるような気がするから」と語る。










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