さよなら津田
70年も
先週、衝撃的な話を聞いた。私も行ってた津田英語塾が今年度限りで閉業するのだという。前にも書いたけど、英語嫌いだった私は高1からここに通って、高校の最後はむしろ英語が得点源になるまで鍛えていただいた。単語から読解からあらゆる面を厳しく指導していただき、英検の準1級も取れた。そんな津田がなくなる。信じられん。
さる筋から入手した告知文によると、近年は英語出題のあり方が変わったことや、生徒数の減少もありもう経営を維持していくのが難しいと赤裸々に書かれていた。そして何より驚いたのはボス津田鏡子先生が4年前に他界されていたとのこと。そうでしたか。
津田先生の授業の緊張感と言えばハンパなかった。講義の最中、突如として「anyone?」と生徒に発言を求めるのだ。それが来たら、長机で隠れようもないのだけど、隣の人の肩に重なるようにして存在感をひたすら消そうと思ったものだ。答えられないわけではないのだろうけど、万一ミスったときに公開処刑されるのではという恐怖。尿意を催しても言い出せるはずもなく、膀胱がパンパンになって失神しそうになりながら、膨れた膀胱のお陰で便意まで催し、休憩時間になった瞬間にトイレに駆け込んだら(ここのトイレは昔、男女兼用というか、外に小便器があり同じところに男女兼用の大をするところがあったのだ)、女子が鍵をかけずに入っていて絶叫されるという地獄もあった。この女子、当時一部で流行っていた浅倉大介さんのユニット、ACCESSに夢中で、ニューアルバム買った?とか周りにペチャクチャ喋っておった。私は当時、妹が買っていたPATIPATIという雑誌で、浅倉大介さんの化粧が濃いのが気に入らず、この女子の夢見心地ぶりにかなりイラついていたのだが、トイレを開けてしまったことで、この人に頭が上がらなくなり、ACCESSトークの垂れ流しを延々聞かされる羽目になったのだ。今頃、どうしておられるのだろうか。
生徒数が減ってるとはね。自分が言ってた頃は、高校は5クラスあってそれぞれ30人近くいたかな。附属池田と北野と豊高の生徒で大半が占められ、あとは雲雀丘とか金蘭とか私立がちらほら。そういえば、雲雀に行った小学校の同級生も同じ組になったことがあったな。あんましゃべらんかったけど。男子校に行って卑屈になりすぎていたのかもしれません。受験が終わって、打ち上げに行ったときに、豊高の女子に電話番号とか聞かれて、こんなうらぶれた男子校のうんこちゃん男子にでもお近づきになろうとしてくれる人おるんやと劣等感を払拭できたが、浪人するので遊んでる暇もなかろうと、「自分、不器用ですから」と番号教えなかったのは誇りです。
いろいろ思い出がある津田がなくなるんやと思うとショックでね。この衝撃を誰かと共有したいと思ったけど、残念ながら言える人おらず。私をここに誘ってくれた同じ高校の友達は、高校卒業以来、会ったこともないので当然連絡先も知らず。小学校の塾から一緒でそんだけ仲良くしてたんなら、連絡先くらいと思うけど、生来の付き合いの悪さが災いしてたどれず。母親同士は卒業後もつながっていたようだが、そこまでしてまでコンタクトしたいかというとそれもなんなのでやめた。
でも、悲しいね。あれだけの学びやがなくなってしまうというのは。時代が変わってもああいう風にかっちりとした英語を教えるっていうのは大切なことやと思うけど。そりゃ今はもう文法とかようせんけど、英語読むとかはちょっとまだ自信が残ってるから、NYTとか頑張って読もかって思うときあるもんね。ほんと、残念です。