(三十三)捨女の句を味わおう

捨女(1633[寛永10年]~1698年[元禄11年])は江戸の初期に活躍した俳人である。以前紹介した花の俳人、加賀の千代女(1703年~1775年)よりも70年も前に生まれた人物である。兵庫県丹波市柏原(かいばら)に生まれ、42歳で夫と死別、49歳で仏門に入るも、彼女の人生ははっきりとは分かっていない。

彼女は6歳の時に、
  雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡

の句を作ったと言われているが、はっきりしたことは分からない。
 『捨女句集』の編著者の一人である坪内稔典の巻頭の言葉を引用する。
出家して貞閑となった彼女は、和歌をよく詠んでいますが、俳句はほとんど作っていないようです。捨女の俳句は彼女が俗世間にいたころ、つまり少女、娘、妻(嫁)、母であったころの作品なのではないでしょうか。

実際、この句集に収められた句は言葉の遊びをしている句が多い。京都の松永貞徳の俳句から影響を受けたものと思われるが、貞徳流の俳句ばかりを作っていた訳ではない。先ずは、貞徳流の俳句を紹介しよう。()内の数字は『捨女句集』での歌の番号。☆印は筆者が選んだ彼女の代表作。
去年の師走 今年のびてや 若えびす(8)
  去年の師走のうちに立春と為る事もある、皺も伸ばせば若返るのだ
山の眉も うちけぶれるや 木のめもと(79)
  山の中腹から頂上あたり、木の芽が吹いており春霞に煙って見える。
葉月十五夜
いつかいつか いつかと待ちし 今日の月(172)
  いつかを三回繰り返すことで十五夜を引き出している。いつになったら           満月が見れるのかしら。今日も明日もいつかいつかと心待ちにしていま        す。
人もとより文おこせし返事(かえりごと)に
音計(ばかり) 聞くや空言 かりの文字(202)
  ある人から手紙が来ましたが、その台詞ときたら誠意が無く、何処から        か借りて来た言葉や、心にもない絵空事を言っている様に思えるわ。
   この句の「かり」の文字は雁、借り、仮りの三つの意味を有してい            る。雁の文字とは雁の文、つまり手紙であり、それが借り(人の言葉を       借りて)、仮り(誠意のない上辺だけの)言葉と思えてくるという意味        である。
七夕の 渡せる橋や こい紅葉(155)
  七夕の夜、天の川に掛かる鵲の橋が濃い紅葉の葉の様ですね。二人の恋         が燃えているのですね。

貞門の影響を受けて係り言葉、縁語を多用している。捨女は言葉遊びも上手だったのだ。

それでは、今度は捨女の句の中で、佳句と思われる句を抜き出してみよう。
逢坂の関 吹き戻せ 花の風(56)
  逢坂の関で花を散らす風をせき留め、春風を吹かせて再び木々に花を咲         かせよ。
花や散らん 耳も驚く 風の音(66)
  驚くほどの強い風の音が耳に入ってくる、花が散るのではないかと気を         もませるの。
衣更
我が思い 譲り合わせよ 衣更(93)
  私には30歳の時に産んだ娘がいる。その娘に譲るため大切に着て来た袷     (あわせ)がある。まだ、この袷を着られるほど大きくなってはいない            が、袷に合うよう立派に成長して欲しいものです。
   上記の本によると、捨女は18で結婚し、翌年男の子を生んだが、その        11年後に女の子を生んでいる。多分娘は一人だけ生んだのであろう。
     娘に譲りたいというのは、仏門に入る決心をしたからではないか。衣更         に思いを寄せるというのはその様に解釈して初めて理解出来ると考え             る。私は「逢坂の関 吹き戻せ 花の風」と共に、この句を捨女の代表         作としたい。
夕立に 洗いて出るや 月の顔(126)
  夕立があがって、月も顔を洗ったように普段より涼しげな光を放ってい         る。暑い夏を涼しく感じさせる風景ね。
    月と言わずに月の顔と、月が顔を洗ったようだという表現が実に当を得         ている。


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