(七十九)「春は名のみの風の寒さや」を下の句にして上の句を作る

今回は文部省唱歌「早春賦」の歌い出しを敢て下の句にして、上の句を作る試みをする。
この歌は詞も曲も美しく、2006年から2007年にかけて文化庁と日本PTA全国協議会が選定した「日本の歌百選」に選ばれている。参考として、元歌を次に添付しておく。
春は名のみの風の寒さや、谷の 鴬歌は思えど
時にあらずと声も立てず、時にあらずと声も立てず
 
簡単ではあるが、人をして癒してくれる歌と思う。「春は名のみの」の「の」は「の止め用法」であり、「の」の後に「春」が省略されていると解釈出来る。この用法は、例えば、清水の次郎長を「清水の」と呼んだ時を考えれば分かる、「の」の後に「次郎長」が省略されている。「春」を省略しないで言えば、「春は名のみの春風の寒さや」となるが、通常省略される。そして、「や」は切れ字である。
従って、この句は、この春風は名ばかりで、春風というにはあまりに寒いことよ、という意味になる。名ばかりと言うのは立春を過ぎた後に吹く風を春風と言っても、本当は春風とは言えないとの意味である。
立春を過ぎたばかりでは、谷間の集落を吹き抜けてゆく風は冷たいのだ。当然鶯は囀らない。「谷の鴬歌は思えど、時にあらずと声も立てず」とは、現実に対する作者の詩的解釈であり、春が一刻も早く訪れて欲しいとの期待が込められていると言えよう。
先ず、この歌の前半を五七五七七にしてみよう。次の様になる。
 鶯や歌は思えど声立てず
   春は名のみの風の寒さに
 
早春はありとあらゆる生き物が息を潜めて春の到来を待っている時期である。或いは雪が融け、或いは水や風の冷たさが和らぐ事などに、春の到来を感じるのである。
 花が咲くのを見るだけが楽しみではない。固く閉じた蕾を見るのが早春の楽しみでもあり、多くの文人がそれを言葉にしてきた。さあ、それでは上の句を提示しよう。
  蕾出で膨らむ気配まだ見せず
    春は名のみの風の寒さや
 

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