(八十九)中村汀女の句を味わおう

中村汀女の略歴を先ず示しておこう。
1900(明治33)年、熊本市画図町に生まれた。
1920(大正9)年,20歳、大蔵省官僚の中村重喜と結婚。
1932(昭和7)年,32歳、ホトトギス同人となる。
 大正9年に小倉在住の久女を知り、結婚後、東京に引っ越して来て、かな女と知り合った。
1944(昭和19)年,44歳、汀女句抄発刊。
1988(昭和63)年,88歳、没。
 
彼女は明治生まれであるが、30歳過ぎてから同人になって活躍したことを考えると、昭和に活躍した俳人と言ってよいだろう。
女性の句によくある様に、彼女の句は日常生活に根差した平明な句が多い。そして、彼女の優しい気持ちが出ている句が多い。
さて、例によって、彼女の俳句を味わっていこう。☆は当方が選んだ彼女の代表作である。
 
☆タンポポや日はいつまでも大空に
タンポポが日の光を受けて咲いている。散歩の途中で見かけたのか、タンポポの咲いているところへわざわざ出かけたのか、問う必要はない。黄色の花をみて何時までもお日様が当たっていてほしいと思ったのだ。何時作ったのかは分からぬが、昭和の戦前辺りかも知れない。平和を祈る気持ちも含まれているかも知れない。
☆外にも出よ触るるばかりに春の月(S21)
  子供が部屋の中で遊んでいる。「家の中で遊ぶのもいいけど、外に出て見なさいよ」と母親は呼び掛けている。目前の月が触れるほど大きく近くに感じられる。春の美しい満月を楽しむことの素晴らしさを子供にも教えたい。「枝頭の月」の情景が浮かぶ。
彼女は「触るるばかりの」とは詠まずに、「触るるばかりに」と詠んだ。後者の方が柔らかい口調となるからである。子供に対して、「手を伸ばせばお月様に触れられそうよ」と伝えたい雰囲気が出ている。
☆手渡しに子の手こぼるる雛あられ
  雛祭りの日に、娘の為に雛あられを両手で掬って持っていき、娘の両手の上に落としてあげたが、残念なことに娘の手が小さくて、その手から雛あられがこぼれ落ちたことに驚いた。考えただけでも可愛らしい風景ではないか。
長女涛美子は彼女が23歳の頃に生んだ子である。この歌は娘が3歳の時に詠んだとすると、彼女は26歳だったことになる。彼女もまだ若く、最初の子を慈しむ姿が見て取れる。
娘について詠んだ歌をもう一句紹介する。
 母娘だけの話も少し春炬燵
 
  娘が青春時代を迎えた頃であろうか、炬燵に当たりながら、母娘で女同士の話をするのも楽しみの一つ。「少し」という言葉に、娘に対する気遣い或いは遠慮が感じられる。
・鎌倉瑞泉寺、TBSテレビにて
秋入日暫く染めし寺座敷
  鎌倉瑞泉寺は花が綺麗な寺で知られている。座敷とは本堂の座敷という意味であろう。秋の夕日が寺の座敷を紅く染めている。座敷に射し込んでいる時間は長くはなかったが、暫くこの風景を楽しもう。
・夜霧とも木犀の香の行方とも
  夜霧が秋風と共に濃くなっていく。木犀の香りが桐と共にやって来る。静かな秋の風景を詠った。
・貼り替へし障子に早き夜霧かな
  障子の貼り替えをした。夜になると夜霧が来て和紙が湿ってくる。ピンと張った紙が緩むことを心配しているこのような事を句にするのは、女性であるからであろうか。
☆田植えすみ山河安らふ出羽の道
  出羽の国は寒く、田植えの時期は、例えば山形では5月~6月と初夏に行われる。田植えが終わると田には既に水が引かれ、国土の保全に貢献する。広々とした美しい山里の田園風景を見ていると、清々しい気持ちが湧いて来た。
女性が「山河安らふ」などというのは珍しい。「出羽の道」とあり、道が地平線まで続いている風景が目に浮かぶ。雄大な風景でありながら、そのような感じを受けない、女性的な句である。
 
 

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