(七十八)しづの女の句を鑑賞しよう

先ず、『現代女流俳句全集 第一巻』「竹下しづの女集略年譜」から、略歴をまとめた。
1887(明治20)年、福岡県京都郡稗田村に生まれる。本名シヅノ。
1903(明治36)年,16歳、福岡県女子師範学校入学。
1908(明治41)年,21歳、京都郡稗田尋常小学校で教師となる。
1912(大正元)年,25歳、水口友蔵と結婚。翌年、長女が生まれる。更に翌年、長男が生まれる。
1928(昭和3)年,41歳、「ホトトギス」同人となる。
1933(昭和8)年,46歳、夫脳溢血で逝去。
1939(昭和14)年,52歳、上京して虚子と会う。
1950(昭和25)年,63歳、12月発病。母フジも赤痢にて病臥。
1951(昭和26)年,64歳、1月、母逝去。8月腎臓炎でしづの女逝去。
 
大正時代に活躍したしづの女は、「ホトトギス」同人で、虚子の弟子であった。その師である子規は「写実」を作句の原則に挙げていたので、彼女もその考えを継承している。
しかし、必ずしも正しく理解していたようには思えない。例えば、しづの女は次の句を作っている。
  鹹(しおから)き痰を嚼みつつ風邪に耐ゆ
 
写実ではあるが、吐きすべき痰をこのような句にするのは正しい態度とは思わない。また、五七五ではない、リズム・調子が必ずしも良いとは言えない句も散見される。
  一本のみをつくしあり秋の湖
  短夜や乳ぜりなく児を捨すってちまおうか
  我が喜びと似し花小春葉隠れに
青きネオン赤くならんとし時雨る、等々
 
さて、例によって気になる句を見ていこう。当方が選んだ代表作には☆を付けて老いた。
・夏帽や女は馬に女騎り(43歳)
  馬は跨いで乗るのであるが、夏帽子を被った女は女乗りをして、上品ぶっているのを見て、冷ややかな目で見ている。
   女について詠んだ句に次の句も紹介しておく。 
     化粧すれば女は湯ざめを知らぬなり(47歳)
・月既に湖心にありて宿りけり(45歳)
  「宿りけり」とは湖畔に宿を取って一夜を過ごしたという意味と思う。月を長い間が眺めていたが、宿に来る頃には月は湖心にまで移動していたという意味である。
☆霧迅し山は紅葉をいそぎつつ(45歳)
  霧がみる間に山裾から中腹を包んでいく。紅葉は上から染まっていくが、やがて霧に消えてゆく。霧の拡散する速さに、山も紅葉を紅く染め急いでいるように見える。十七文字なので舌足らずになりがちな所を「急ぎつつ」と余韻を残す事により深みを出している佳い句である。
☆月光となりて大山(だいせん)もう見えず(45歳)
  この大山は鳥取県の名山「大山」を表している。「月光となりて」とは、大山を照らしていたのが夕日から夕月にとって代わったと解釈できる。
   大山は夕日で有名であり、作者は夕暮れ時分から大山をずっと見ていたのである。しかし、その事は言わずに、山を照らすのが太陽から月に替わった後のみを述べている。そして、見えなくなった山をまだ見ていたい、名残惜しい事を直接的に言わずに、暗示する方法をとっている。
・折れ伏して枯れ伏して葦すさまじく(46歳)
  折れ倒れても、枯れ倒れても、そして、踏まれても、葦がまた生えて来るその生命力の強さにしづの女もそうありたいと願っていたのではないか。
・家貧にして花葎まつさかり(50歳)
  花葎は野に密生して咲く白い小さな花である。貧しくて、庭に花を植えたり手入れをしたりすることも儘ならないのであろう。一方、野には花葎が元気に咲いているのを見て、自分もかくありたいと願ったのではないか。

 


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