(十)凡兆の「ながながと川一筋や雪の原」の句を改作してみた

川が地平線の彼方まで続いている風景が目に浮かぶ優れた句である。只、和歌の観点からすると、「長々と」は俗な言葉であるのが残念である。もっと、上品な表現に変えてみよう、どうなるであろう。
彼方(かなた)より 川一筋や 雪の原

「彼方より」という言葉を使ったので少し俗さが減少している。両者とも鳥観図を見る様に、広い範囲の雪景色を描いている点は同じであるが、残念な事に、両者の句のニュアンスは同じではない。
「ながながと」の方が「彼方より」の方と比べて、長い間一筋の川を眺めている。
 別な言葉で言うと、「ながながと」と言うのは一筋の川が空間的に長々と続いているだけではなく、作者が川を時間的に長々と眺めていたという事を暗示した言葉である。それで、「長々と」をかな表記にしたのかもしれない。
 この様に考えると、「ながながと」を「彼方より」に置き換えるとは必ずしも適切ではないことが分かる。凡兆は言葉に意を用いる俳人である。よく考えて「ながながと」という言葉を用いたのだ。

ところで、「雪の原」とはどんな風景を言葉にしたものなのだろうか?高浜虚子は次の様に解釈している。
一面に雪が降り積っておるので、何処もかも真白いが、その中に一筋長く連なって黒いものがあるのは川であるというのである。
(『俳句はかく解しかく味わう』、岩波文庫)

実際、凡兆はどこの風景を見ていたのであろうか。里山の風景であろうか、それとも都会の風景であろうか。或いは、空想した風景なのであろうか。

「雑談散歩」(運営者:evian)には次の記事がある:
凡兆は、冬の日に京都の郊外で雪野原を眺めているという状況を想定してこの句を作ったのだろうか。むしろ私には、この句は里の風景の「写生」ではなく、街なかの光景の「写生」のように思われる。
 京都の街なかを流れる川としては鴨川がある。野沢凡兆が暮らしていたとされている「小川椹木(さわらぎ)町上ル」の東側を鴨川は流れている。掲句にある「川一筋」とは、この鴨川のことではあるまいかと、私は突拍子のない空想をしている。
 雪の積もった大都会は、上空から眺めればただの雪野原。夜に降った大雪が朝には止んで、京都の街は一面の雪野原に変わった。通りも家並みもすっぽりと白い雪におおわれて、風景は様変わり。
雑談散歩: 雪に埋没した京の都「ながながと川一筋や雪野原」野沢凡兆 (ebipop.com)

この中で、作者は控え目に「突拍子のない空想」として、かの風景は京都市内の風景であるという見解を提示している。
凡兆にとって、京都市街地の風景は見慣れていた。しかし、雪によって大きく変貌した風景に感動し、ながながと眺めたという解釈こそ、自然な結論ではあるまいか。京都の雪景色を歌ったのが正しいのであれば、雪に覆われてはいても、京都の町であるとはっきり分かる程度の積もり様だったと、私は解釈する。そうであればこそ、「ながながと」雪に覆われた風景をみていたのではないか。

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