(八十七)遊女豊田屋歌川の俳句を味わおう

豊田屋歌川(とよだやかせん)は遊女であったためか、その生い立ちなどがはっきり分からない。1700(元禄13)年、越前三国に生まれ、1777(安永6)年逝去したらしい。当然、俳句集も残っていない。『続近世畸人伝』には、次の様に記載している。
荒町屋某がもとの遊女泊瀬川と云う。容色有りて心映えうるわしく、香・茶・花・手跡共に志すと雖も、もっとも性俳諧を好めり。後雉髮して歌川といふ。
 
彼女は、生没年1703年~1775年の加賀の千代女と同時代人である。しかし、千代女が優遇されたのに対して、遊女であった歌川は句集も残っていない。
ここでは、『遊女・豊田屋歌川』から、その作品を抜き出して鑑賞する。例によって、代表作には☆印をつけておいた。
・目覚ましに琴しらべけり春の雨
   春の朝起きたが、まだ眠い。多分、遊女になった後の句であろう。琴を弾いてみたが、外は雨がしとしと降っていて、何やら物憂い感じがする。目覚ましにわざわざ琴を弾いたのが、いかにも女性的なものを感じる。
☆誘う水有らば有らばと螢かな
   小野小町の歌を先ず紹介する。
文屋康秀が三河掾(みかわのじょう)になりて、「あがた見には、えいで立たじや」と言ひやれりける、返り事によめる。
わびぬれば身をうき草の根を絶えて
誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ(古今集)
(口語訳)
文屋康秀が三河の三等官になった際、「私の任地を見に行きませんか?」と言ってきた返事に詠んだ歌。
一人住まいの憂き身ですので、浮草のように根を断ち、誘ってくれる水でもあれば、そのまま流れて行こうと思います。(古今集)
 
彼女の句は、小町の歌を踏まえて作られた。この日、月は出ていたのであろうか。月の出ない時にこそ蛍は綺麗に見えるのである。しかし、それでは川の水は見えないはずだ。「誘う水有らば」という文句は、実際、螢が光っていた岸際に水が流れているのが見えるという意味に捉えると、薄明かりの月が出ていたのではないかと想像する。
 蛍の光に誘われて、前へ前へと川に沿って進んで行ったと解釈したい。「あらばあらば」という繰り返しがそれを表している。
同時に、この句は浮草のような身分の遊女である彼女を小町に擬えている。彼女を遊女の身分から引き上げてくれる人がいればその人について行こうという意味が隠されていると述べていると思う。
☆爪紅のしずくに咲くや秋海棠
   小雨が降っていたが、それがいつしか止み、いつの間にか褄紅蝶が秋海棠の赤い花の辺りに止まっている。褄紅蝶が濡れて雫が垂れているという美しい情景に出会ったのであろう。
☆奥底も知れぬ寒さや海の音
  冬、海岸に向かって立つと、風がとても寒く、暗い海面の下には我々の知らない世界が広がっている。一たび海が荒れれば、漁船を転覆させる力もある。しかし、今は波の音がただ聞こえて来るのみである。海に対する潜在的恐怖感を上手く表現している。
   尚、『続近世畸人伝』には、この句が辞世の句として紹介されている。それが本当だとすると、この海は死後の世界を象徴しているかもしれない。
・遊び成し時に文の端に
 叩いても心の知れぬ西瓜哉
この句の言わんとする所が必ずしも良く分からない。西瓜は彼女を買う客を意味し、客の心の中は話をしただけでは分からないという意味なのか、或いは別の意味があるのか分からない。御存じの方はコメントを下さい。
・寄る波の一夜泊まりや薄氷
   『俳家奇人談』の「遊女談」に次の前書きがある。
越前三国の里に歌川といひし女あり。をりをりかよひ来る男ありけるが、二夜とは宿らで、暁ごとに帰るを打ち怨みて

 そして、そこでは、「寄る波」が「ゆく水の」となっている。
前書きで分かるように、遊女の私に寄ってくる客は多いが一夜泊まりであり、私を好いてくれる方は少ないので、彼女のプライドが傷ついたのである。
・涼風や足音なしに蚊帳の裾
 夏だ夏だと思っていたが、いつの間にか涼風は蚊帳の下から入り込んできた。秋の気配が音もなく近づいているのね。
・一筋は柳に重し蝸牛
 一筋の蝸牛が柳の枝に止まっている。その重さで枝がしなっている。絵画的な句である。 
・朝顔や有明の月惜しけれど
 朝早く起きた。朝顔が咲いている。有明の月もまだ出ている。惜しいとはどのような気持ちを述べたのかよく分からない。月はまだまだ出ていてほしいが、朝顔に日光が当たって欲しくもあり、という矛盾した気持ちを述べたのかもしれない。
 尚、明治生まれの俳人久女は、同じ「朝顔と夜明け」というテーマで次の句を読んでいる。
 朝顔や濁り初めたる市の空
・初雁や去年の便りの夜をかぞえ
 今年も雁が飛来する秋の季節がやって来た。雁の飛来は秋の便りにも似ている。去年は何時雁が飛来したかしら。冬を日本で過ごし何時帰って行ったのかしら、などと思い起こしてみる。一人身には、このようにして夜を過ごすのも悪くない。
・心あてもありてか霜の翁草
「心あてに折らばや折らむ初霜の
置きまどはせる白菊の花」
  の歌を踏まえて作っている。春、濃い赤紫色の花が俯くように咲き、花の咲き終わった後、白い羽毛のようなふわふわとした種子が出来る。この白い種子が出来た頃の翁草を詠んだのであろう。
・袖笠もその人からや初時雨
袖笠とは、「袖を頭上にかざして笠の代わりにする」ことであるが、「その人」とは誰を指しているのであろう。
今までは、時雨には笠を着けたのであろう。しかし、今は懇意になった「東都某の士夫」と二人で歩いた時のことを句にしたのかも知れない。
☆かしこには人聲のあり山桜
 作者は独りで山桜を見ている。ここの山桜では、彼女は無言で見ているが、かしこに咲いている山桜からは人の声が聞こえる。どうやら、一人で見に来ているのではなく複数の人で見物に来たらしい。或いは男女二人できたのかも知れない。こことかしことではではそこが異なる。かしこで人の声が聞こえる事で、一層寂寥感が増してきたことを述べている。
・借りてみる杖うらやまし仙翁花(せんのうげ)
安永4年の作と伝えられ、この時病中であったいう、亡くなる2年前である。仙翁花は7月から9月にかけて、オレンジ色の五弁の花を咲かせる。
この句は分かりづらく感じる。分かり易く解釈すると次になる。
杖の助けを借り、庭に出て仙翁花を見た。開花時間が長く、花の色が鮮やかなオレンジ色であるのがうらやましく思える。
この句を作った時はもう、歩行が困難だったのであろう。死期を悟っていたのかも知れない。
・くたびれた人に添い寝や女郎花
  彼女が遊女をしていた時分の句であろう。彼女を買った客が仕事で疲れたのか、ろくな会話もすることなしに横になっている。心優しき彼女はそっと添い寝をしてあげたのだ。
・人ごとの浮き世にすねて火桶かな
 遊女の立場では世間を人ごとに見る事が多い。世を拗ねる態度に自分ながら嫌になる。火桶の火を見て自省をする。
・散り初むる葉はいずれから今朝の秋
 秋の気配が漂うこの頃であるが、今朝はやけに冷え込んでいる。最初に散るのはどの葉であろうかと自問自答する。
 
『遊女・豊田屋歌川』には興味深い歌合いが載っている。発句を凡右、亀撰、可竹が詠み脇句を哥川が返している。彼等三国の哥川を訪ねた。上記の本によると、亀撰は明翫屋勘次郎、十三代治兵衛の俳号で、北前船で𢌞船業を営む豪商である。
前書きを略す
・駒下駄の音はしめらず初時雨   凡右
☆道も清めて嬉し茶の花      哥川
 初時雨の中、駒下駄を履いてきたが、その音はカンカンと響く。雨が通りを洗い綺麗になったので、気持ちも心地よく茶の花も咲き誇っている。
  哥川は発句の「音はしめらず」に対して「道も清めて」と素晴らしい応じ方をして、文学的素養の高さを示している。
  
・戻りては
 また来ては日南になるや帰り花  亀選
 雫ばかりにかきの初霜      哥川
今度は、復路を来た時の歌である。既に日が南に移動し午後になった事を言い、小春日和の時分にまた同じ道を通ったが、また茶の花が咲いていたというのであるが、茶の花がその時期に咲くことがあるのかどうか浅学にして筆者は知らない。
・ぬれ道も厭わず通う初雨時    可竹
 旅もやつれず遊ぶ千鳥野   哥川
 今度は、出かける前からすでに時雨が降っている。雨にぬれたこの道を厭わず通うのは、貴方に逢って逢瀬を楽しみたいが為であると言えば、「旅もやつれず」とやんわり応じている。「ぬれ道」というのが、危ない言葉であるため、この様に応じたのであろう。哥川が遊女で可竹がその客という設定である。
山青くして雲来たり去らず
  楽しみ尽きて苦しみを
    いまとし七十七
    いまとし七十七
 この歌の作者が書かれていないが、哥川が作ったものと考えられる。雲は歌において色々な意味を有している。山は哥川を指していると解釈すると、雲は彼女に起こった出来事を象徴していることになる。つまり、彼女が若い時分に遊女となったことを暗示している。しかし、「楽しみ尽きて」とう何の事であろう。上記の本から引用する。
 いまだ盛りなりし時、東都某の士夫、三国に来たりてことにむつびけり其の時長谷川(と)いう、妾吾妻を一見せむと願うこと久し、もし時を得て遊びなば、君が代に止め給わんや、というに快く引き受けぬ。(27p)
 
「楽しみ」とは、江戸のこの士夫と交際していたことを指すのかも知れない。この時期が過ぎて「楽しみ尽きて」から、剃髪したのではないかと想像する。
  此の会が行われたのは、彼女が77歳であったことを示している。再び、上記の本から引用する。 
  石川県の美川町(昔は「本吉」といった)の『美川町文化誌』(昭和44年11月刊)にこの町の俳人明翫屋亀撰が書いた「歌川と亀撰の俳諧の唱和」というのが掲載され、〈歌川は越前三国港の名妓で、亀撰は明翫屋勘次郎すなわち13代治兵衛で亀撰は俳号である。お互いに77歳を迎えた老妓と老人で真の風交である〉と書かれている。(92p)
 
このことから「いまとし七十七」が二回繰り返されているのが、彼女自身と亀撰を指していることが分かる。つまり、「今私は77歳となった、貴方ももう77歳となった」という意味である。
 
これにて歌川の俳句鑑賞は終わりであるが、ついでに遊女たちの俳句を纏めて紹介しよう。『俳家奇人談』「遊女談」には次の俳句が紹介されている。
・恋死なば我が塚で泣け子規  東武北里 奥州
・男なき寝覚めこはい蚊帳かな 東武北里 花咲
・その数に入るも恥かし夏の菊  同上 染之介
・流れなる身には似合いしき花筏 京都島原 長門
・我が形を恨みつ 風の糸柳 浪速 何某
・思う事積んでは崩す炭火かな 潮来 何某
・我をのせて曲輪を出だせ凧 たま
・初雪や誰が誠もひとつ夜着 薄雲
・夏痩と人に答ふる涙かな 薫
 
どれも、解釈など必要もないと思われるが、夏の菊についてのみ、説明を加える。これは、秋の菊より花が小さく香りもうすい。染之介は容色が他の女達よりも劣っているとの謙遜の言葉である。
 
 

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