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LETTERS for 「LAMP IN TERREN」 2014-2017ー「THE FIRST ONEMAN TOUR "BLUESYARD"」に寄せて

※2015年11月当時に書いた記事です。なお、写真は当時のニュース記事から引用しました。(http://spice.eplus.jp/articles/22142)

解放の時

 2015年11月5日午後16時。僕は渋谷CLUB QUATTROに開場時間よりも少し早く入った。――LAMP IN TERRENが初めて渋谷CLUB QUATTROに立った日はどんな日だったかな?などと少し昔を思い出しながら、ハコへと向かう。音漏れを感じながら階段を上り、辿り着いた「そこ」は、まさにリハーサルの真っ只中。松本大(Vo.&Gt.)の個人的な夢の物語を描いた“reverie”を鳴らす彼らがいた。


 耳に飛び込んできた音像を聴いて最初に思ったのは、リハの時点でここまで飛ばしていいのか?と思うほどに、松本の声がフロアの最後部までガッツリと響いてきたことだった(実際、PAの方に「そろそろセーブしておきなよ」と諫められるシーンがあった)。気合が漲っていることもあるのだろうが、松本は広い会場になればなるほど、声が文字通り「飛ぶ」タイプのヴォーカリスト。ワンマンライヴ史上過去最大のキャパを誇る、渋谷CLUB QUATTROに対して臆するところはなさそうだ。


 リハーサルも終盤に近づき、「みなさん確認したいことはないですか?」と、松本が飄々とした様子で周囲に確認を取る。川口大喜(Dr.)の提案で、曲の入り部分などを最終確認するなどして、最後は「僕の肩慣らしに付き合ってください」と松本。――テレン随一のドライヴ感のあるナンバー“ワンダーランド”をプレイし、リハーサルは無事終了した。


 開場時間の午後18時を少し過ぎた頃、ライヴ前の楽屋に少しお邪魔をした。メンバーと軽く話をしつつ、「今までクアトロで沢山いいライヴ観てきたよ。今日はどうかな?」なんて発破をかけてみた。そうすると、中原健仁(Ba.)がこんな言葉を返してくれた。


「大丈夫ですよ。今のLAMP IN TERRENカッコいいよ」


――正直驚いた。出会った頃から、ステージ以外では静かに闘志を燃やすタイプだった中原から、こんな言葉を聞くとは思ってなかったからだ。約2年前にMASH A&Rのグランプリなどを受賞してから、怒涛のように駆け抜けてきた彼ら。スキルやシーンにおける状況だけではない。心身共に成長して、彼らは此処にいる。

スタート予定の午後19時を少し過ぎた頃。超満員の渋谷CLUB QUATTROのフロアを改めて見渡すと、同世代のバンドの仲間もフロアで見守っている。そんな同世代の絆に心を温めていると、幻想的なTYCHO“Epigram”が鳴り響く。遂にライヴのスタートだ。


 以前このステージに立った時から、大屋真太郎(Gt.)という仲間を得て、彼らが持ち場に立つ。息を潜めるようなフロアに対峙する松本は、一呼吸を置くと、憂いを帯びたギターコードを鳴らした。披露されたのは、テレンの始まりの楽曲である“L-R”。「――ただいま」と呟き、松本が放った極大の咆哮は、フロアを一瞬にして異空間に変貌させた。

 ――バンド史上最長のセットリストで、世に放った楽曲のほぼすべてを披露した彼ら。辛辣なことを書けば、この日のライヴは緊張が見られる場面もあり、少々演奏面では荒いところもあった。ただ、そんなことは正直どうでもいい。そんなこと以上に、この日の彼らはLAMP IN TERRENという生命の過去/現在/未来のストーリーを照らし出し、音楽という表現に対して、「解放」のファンファーレを鳴らしたのだ。


 彼らの楽曲群は、当たり前だが刻々と変化を続ける彼らによって生み出されている。そしてその楽曲群は、その時々で携えるニュアンスを変えて僕らの耳に届く。この日も勿論そうだった。


 “L-R”は、孤独の中でも音楽を鳴らした/鳴らす意義を。“portrait”は、リスナーという微かな光を認識した事実を。“メイ”は、自らの手の中に灯っていた音楽と言う存在証明を。“ワンダーランド”や“multiverse”は、これから羽ばたかんとする未来の道筋を。――どの楽曲をとっても、そこにはLAMP IN TERRENという生命の物語が宿っている。これほどリアルタイムなストーリーが楽曲中に露わに綴られたバンドはあまり例をみない。だからこそ、多くのリスナーは松本がMCで言った「一緒に歩むことしかできない」音楽に惹かれ、共に歩みを進めながら心に光を灯すのだろう。


 そんな彼らの物語を語ってくれたライヴは、彼らが「解放」されたことの証明――脳内に描く音楽の世界を具現化する点において、完全にひとつステージを上げたことを示した。


 誤解を招く表現かもしれないが、僕は彼らに対してひとつの疑問を一時期持っていた。それは、彼らの楽曲をトラック単体として聴くと、ある種パターン化している感覚があった、ということだ(たとえば僕は、“portrait”という楽曲のことを聴いた当時に、「“L-R”の進化版って感じ」と称した過去がある)。一方で、楽曲を創り出す松本は、邦楽も洋楽も境なく(むしろ洋楽のほうを頻繁に好んで)、沢山の音楽を聴いてきているタイプ。彼の中には、間違いなくジャンルレスな音が潤沢に流れているにも拘らず、何故似た感触を持つトラックが多いのだろう、と純粋に思っていたのだ。


 しかし、最新作『LIFE PROBE』に込められた“林檎の理”のデモを聴いた時から、その疑問は消えて行った。同曲は、松本も一時期よく好きなアーティストとして挙げていたRoyal Conceptなどを彷彿とさせる、端的に言うならば行進曲のようなドラムパターンに、煌めきをもった多重的なサウンドを纏っている。3人編成の時期を過ごす中で、少々リミッターをかけていたのかもしれない側面――脳内で鳴る音を「そのまま」具現化することを、松本はその時期から顕著に避けなくなった。今も続くそのモードが最も迸った瞬間は、このツアーから披露されている最新曲“時の旅人”が披露された時。楽曲作りに鍵盤を導入し始めた影響もあってか、世界観の表現が更に大きなスケールに進化。それも、ただいたずらにエレクトロな側面を取り入れるのではない――過去と未来を見つめるという不可思議な世界観の表情として、あのサウンドに辿り着いたのだと腑に落ちる出来映えだった。正式に4人編成となったことも併せ、様々な面がサウンド面で「解放」されたことを証明している。


 そして、「歌」をバンドでやっていると自称する彼ら。その側面における「解放」に必要な最後のピースは、再加入したギタリスト大屋という存在だったのだろう。バンドアンサンブル云々以上に、彼の存在がヴォーカルに加え、リズム隊までをも「解放」した。事実として、松本が抱えていたリズム/リードギターの負担は、少なからず大屋が担うこととなった。その結果、松本はハンドアクションも交えながら、楽曲の世界観を感情のまま自由に表現できるように変貌。同時に、松本が歌の世界に入り込んだ際の演奏の揺れは軽減され、リズム隊がどっしりと構えられるようにもなったようにも見受けられる。――そして何よりも、彼を孤独の中から救い出した「音楽」……その道に導いたひとりがバンドに戻ってきたのだ。「歌」を届ける上で、それ以上の安心感はないだろう。
 
音像/歌――音楽そのものを表現において、彼らは遂に解放の時を迎えたのだ。

 プレイヤビリティの面や、バンドのグルーヴなどにはまだまだ改善の余地がある。しかし、そんな点に盲目的になってしまうほどこのバンドに夢を抱いてしまうのは、このライヴのように、自らの手で胸を打つ物語を紡ぐ、ひとつの生命としての魅力を持つからだ。もうこのライヴは過去のものとして、彼らの一部になった。だが、彼らが綴る音楽も物語も、もう彼らだけのものではない。彼らの音楽を聴いたあなたと共に、これからも大きな光として創られていく。

末筆にはなるが、ライヴ後松本と交わした会話の断片を紹介したい。

「今日の光景はどうだった?」
「――おかげで、また曲が書けそうかな」

憂鬱に光を灯し、探査船は次のステージへ飛び立った。
こうしてきっと何度も綴られていく物語を、これからもずっと待っている。




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